2013年11月15日金曜日

D くん

拝復

 多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!

 ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。

 御メールはさらに、次のように続きます。

>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。

 うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。

 研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)

>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。

 そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。

 これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!

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