2017年8月9日水曜日

暗愚の真夏

 この間、まる1ヶ月も発言なしで過ごしました。
 日本の真夏に体調全開というインテリはあまりいないと思われますが、大学の繁忙が一息ついたかと、今月3日(木)に古い本(大河内‥‥社会政策学‥‥)を置く場所を移動したさいに(ここに入居して以来の)14年間のホコリや黴の胞子などを吸い込んだのでしょうか。喉の具合が悪い、などと言っていたら、2・3日のうちに完璧に風邪の症状となってしまいました。おかげで7日の書評会にはマスクをしていった次第。夕刻には台風ゆえの驟雨にやられて全身ずぶぬれとあいなりました。雨宿りの店で3時間余り懇談するうちに、なんとか元気回復。
 池田嘉郎『ロシア革命:破局の8か月』(岩波新書、1月刊)
ですが、すばらしい。叙述力について言う人が多く、それは否定しないけれど、本書の意義はなにより、1917年ロシアの立憲自由主義者たち(カデット)の努力と挫折、大ロシアの民衆世界に入り込むどころか対峙してしまった近代文明派のエリートたちの無力を描きだしたところにある。その挫折・無力 → 破局があってこそ、ボリシェヴィキ・レーニンの断乎たる無理押し(「泥んこのなかで天衣無縫に遊ぶ幼児」p.97?)、なぜか自信満々の意志と行動力が功を奏するわけだ。じつに説得的です。
 他派の欺瞞と不決断を排して正しい道をひた走る「(ボ)史観」、せいぜい乱暴なスターリンを憂慮していたレーニン、といった味付けの1967年(ロシア革命50周年)に育ったぼくたちの世代には、ナロードニキやトロツキーといったオールタナティヴはあっても、立憲自由主義という選択肢は、100%、想定外でした!
 民衆の暗愚、とは高村光太郎を連想させる用語で、すこし留保を置きたいけれど、それにしても自由主義文明派の無力、文明開化の破局、ボリシェヴィキの強力な介入(ジャコバン主義的な「領導」)を説明するには分かりやすい。

1 件のコメント:

池田嘉郎 さんのコメント...

近藤先生、本当にありがとうございます。とても嬉しいです。
民衆の行動様式については、お名前こそ挙げていませんが、『民のモラル』から、また1992年の
学部特殊講義から学んだことをそのまま活かしています。正確にいえば、『民のモラル』などで
学んだことが、状況を少し変えてやれば、1917年のロシアにもかなりうまく適合するのです。
手押し車で嫌われていた技師を工場の外に放り出す(手荒く、しかし大きな怪我はさせない)
など、シャリバリそのものの事例を史料に見出すこともありました。
民衆世界から、国家、さらに政治社会へと、近藤先生の問題設定には常に深く啓発されています。
どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
池田嘉郎