2017年8月10日木曜日

『ゼア・ファイネスト』と『グッバイ レーニン』

 今どきの私立大学は真夏でも多忙です。
 そうしたなかでようやく2つの話題の映画をDVDで見ることができました。

¶ 一つは今秋に劇場公開の『ゼア・ファイネスト(Their Finest)』 (キノフィルムズ、公開タイトルは未決)、1940-41年ロンドン空襲下の映画制作者たちの同志的なつながりの物語。
 ダンケルク敗走のあと、ドイツ軍による空襲が始まり、チャーチル言うところの Battle of Britain の士気を維持するために、そしてアメリカの参戦をうながすために情報省映画部もたたかいます。ちょうど連続ドラマ『刑事フォイル』が英仏海峡に面した町での複合的な感情と事件を扱っていた、それと同じ時期のロンドンの街中。ロンドン大学の本部セネットハウスは1937年に完成したばかりでしたが、戦時には情報省が置かれます。この映画ではその白亜の建物がほんの一瞬だけ映し出され、チャーチル首相の肖像写真も含めて、権力のシンボリズムにはあまり触れない。不自由な日常生活、防空壕と化した地下鉄駅などにおいて冗談を交わしながら勤勉に耐える男女を描きます。
 この映画は監督Scherfigも、原作『彼らの最高の1時間半(Their Finest Hour and a Half)』の著者Evansも、脚本Chiappeも女性であることにも現れるように、主人公カトリンの女としての成長が第1のテーマです。30歳前後(?)とみえるジェマ・アータトンの泣き笑いの自立と才能開花の物語。第2のテーマは、映画と時代ということでしょう。戦争直後にリーン『逢いびき』、リード『第三の男』、オリヴィエ『ハムレット』といった名画が連続するための苗床のようにして、戦時プロパガンダ映画があったのかもしれない。そこで映画におけるヒーローとは、物語と真理(truth)、事実(fact)とは、といったことを明示的に口論しながら、映画(のなかの映画制作)は進む。これは表象論の講義に使えると思います。ハリウッドとは違う抑制と節度をまもりながら『彼らの最高のとき』は、困難な時の映画人の連帯を謳いあげます。
 なまじっかの言語論的転回よりも、はるかに具体的で分析的な映画作品が、なんとあのセネットハウス(現ロンドン大学図書館、歴史学研究所)を舞台として想定してつくられたわけで、これは歴史学者への問いかけ(?)というより挑戦(!)かもしれない。

¶ もう一つはすでに2004年公開で知る人ぞ知る『グッバイ レーニン(Good bye Lenin!)』、1989年ベルリンの壁崩壊前から翌年のドイツ統一(西による東の吸収)にいたる東ベルリンの母子の献身的な物語。ここでも、なんと映画(テレビニュース)制作、本当(Wahrheit)とウソがキーワードになります。
 結局どちらの映画も、退っ引きならない情況におけるフィクションの効用、物語(ウソ)を協力して一所懸命に構築するという点で、そして映画中の役者がフィクション・事実・本当といったことを議論するという点で、共通しています。ただし、『ゼア・ファイネスト』では戦争中で人が続けて死ぬのに、全体に与える印象は、静かであまく切ないロマンス。ところが『グッバイ レーニン』のほうは親子の情も少年の成長もあるけれど、なんといっても「東」の瓦解という政治の激動、コカコーラと西側大衆文化と人材の洪水のような流入, etc., etc. 映画中で死ぬのはただ一人、主人公の母に過ぎないが、そしていくつものロマンスも描かれるが、現代史の奔流が観衆の足下を勢いよく削り、ぐらつかせてしまいそうです。
 政治的シンボリズムとして、左手に本をもち、右手で理想の未来を指すレーニン像がヘリコプターで搬送されたり、「フェイクニュース」を演技して、ヴィデオを母にみてもらうとかいった苦労をさんざ繰りかえしたあげく、最後には母自身が虚構を演じていたのだと知らされるというどんでん返しが用意されています。権力政治と、親子の愛情と、近隣の人々のちょっとした協力出演、そしてサッカーのワールドカップといった異なるレベルのイシューが複合して、言うにいわれぬ時代性をかもし出す -- これは明らかに Becker 監督の意図したところでしょう。「怒濤のような西側資本主義難民を受け容れるDDR(ドイツ民主共和国)」といった虚構のテレビ・ナレーションが、泣かせます。
 すばらしい映画ですが、ただし、タイトルが問題。レーニンを社会主義共同体の象徴でなく、権力政治と独裁の象徴としか思っていない者には紛らわしい。この映画のなかの母もじつはそう認識して割り切っていたのし、亡命した夫を愛しつづけ、(二人の子のためにこそ)社会主義優等生を演じていたわけだから、Good-bye, Lenin! よりも、むしろ 映画中にくりかえし出てくる街中のスローガン DDR 40 Jahre がストレートでよいかもしれない。あるいは東ドイツへの幻滅の先に登場する、(飛行船が象徴する)西側資本主義への近々の幻滅をタイトルにしても良かった。たとえば Hello, Capitalism!

¶『グッバイ、レーニン』『ゼア・ファイネスト』、ともに post-truth ⇔ fake news といった現今の対立図式を、もうすこし歴史的にソフィスティケートさせた作品と言えます。どちらも映画中の映画(テレビ)に歴史的なモンタージュを用い、また方法的なメッセージを明示的に論じています。
 見たあとの感覚は異なるに違いないけれど、それぞれ見るに値する作品です。それぞれ別の事情で見るきっかけを与えてくれた方々、ありがとう。

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