2020年12月22日火曜日

野村達朗さん, 1932-2020

 あとすこしで88歳になられるところ、今月に惜しくも亡くなって、すでに葬儀は済んでいるとのことです。

 1977年4月に名古屋大学に赴任して、ぼくの人生は新しい局面に入ったのですが、その名古屋におけるインフルエンサが野村達朗さんでした。ぼくが『思想』630号(1976年12月)に書いた「民衆運動・生活・意識」をほめてくださって、アメリカとイギリスと違うけれど、同じ労働者民衆の世界を社会史として見ている、それ以上に「近藤さんは民衆だ!」と過大評価してくださいました。

 名大文学部では非常勤の授業を続けてくださって、学生の良い先生でした。不定期ながら西洋史の研究会をやることもできました。それよりも映画についてのイニシエーションをしてくださって、名古屋は大須の芝居小屋で無声映画、グリフィスの『国民の創生』、そして『イントレランス』を一緒に見ました。小川プロの『日本国古屋敷村』も。

 西洋史学会大会の大シンポジウム、『過ぎ去ろうとしない近代』(山川出版社、1993)にどうしてアメリカ労働社会史の野村が入っているんだと、尋ねる人がありましたが、こうした名古屋の「密」なソシアビリテの結果であります。

 野村さんは1932年、鹿児島の生まれ。九州大学の大学院を修了してから愛知県立大学に赴任してそのまま30年間勤めあげたのでした。あの二宮宏之、遅塚忠躬と同じ「32年テーゼ」の年の生まれです。1950年代の東大西洋史は(34年生まれのTさんの言によると)、二宮・遅塚、そして33年生まれの西川正雄と「(知的)プリンスみたいな学生が揃っている研究室で、ぼくなんか気後れして‥‥」とのことでした。九州大学の、しかもエレガントでないアメリカ史をやって、野村さんも、このTさんと同じく「文化資本」の隔絶を感じてしまうはずのところ、そこはしっかり非共産党系の左翼労働民衆という立場を確立して自分の道を歩まれた。自己紹介では飲んべの「ノムラー」です、といった具合に気どらないおじさんでした。

 アメリカ史、カナダ史の交遊も広く、安武秀岳、太田和子、木村和男、金井光太朗、遠藤泰生‥‥といった方々とのお付き合いも、野村さんのおかげで始まったのでした。名古屋のアメリカンセンターで David Apter, Jack Greene をはじめ重要な学者たちと面談する機会もいただきました。亡くなってしまった木村和男とは、名大から四谷通りを下っていった店で初対面ながら、カナダや毛皮のことより、まずは吉岡昭彦、そしてグレン・グールドで盛り上がりました。

 近藤・野村(編訳)『歴史家たち』(名古屋大学出版会、1990);遅塚・近藤(編)『過ぎ去ろうとしない近代』で一緒に仕事をしましたが、明記されていなくとも、たとえば野村さんの『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社、1995)が〈歴史のフロンティア〉のシリーズに入っているのも、友情の結果です。『イギリス史10講』(2013)の名古屋における合評会にも出かけてくださいましたが、耳が不自由になって、とのことでした。2014年にいただいた(唯一の!)電子メールでは、長年ご愛用のワープロ専用機が壊れて使い物にならない‥‥と嘆いておられました。

 なかなか語り尽くせません。想い出を愛しみたいと思います。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は野村達朗「ゼミ」第1回生(1966-1970)で、最も出来の悪い学生でした。その頃の先生と学生の関係は友達のようでした。先生の狭いお宅で、他の先生方やクラスメートと一緒に映画の話で飲み明かしました。また、大勢の学生が集まって卒論の準備なども。いつも奥様は、「飲んべいの女房」上手で、付かず離れず、絶妙なタイミングで現れ、面倒を見て下さいました。講義に際して、いつも山のような資料を配布、興奮口調で「金ぴか時代」や「ホーボー」について熱弁を奮っておられたことを今も覚えています。ただ、当時は英語力が付いて行かず、苦労して用意して下った資料を私は読み込むことができず、講義もさぼりがち。卒業から20数年後、先生と時々お話しする機会があったのですが、先生は酒量制限が必要になったことともあってか「昔のように自宅へ学生を呼ぶことはしなくなった」と。私のような駄目学生を過保護にし過ぎたことへの「反省」だったのかも。山川出版から『ユダヤ移民のニューヨーク』を上梓された時は大変喜んでおられました。「山川から単著刊行」は先生の長年の夢だったからです。先生は奥様と御嬢様から心底愛されていて、幸福な人生を送られたと思います。

近藤 さんのコメント...

匿名さん
コメントに気付くのが遅れました。ありがとうございます。
人柄は変わらないのですね。
ぼくも愛知県の公舎に呼ばれてかなり呑み、帰途にたいへんなことになったのを想い出しました。1982年の暮、野村さんのお誕生日でした。