2017年3月20日月曜日
2017年3月17日金曜日
「解説」ワンダーランド
最近の岩波新書、おもしろい本が続きますが、とくに冴えてるのは
斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』です。
これは月刊の『図書』に連載中から、楽しみにしていました。他に読む記事がなくても、これだけは間違いなくおもしろかった。川端康成の「処女の主題」なるものをむやみに難解に述べる三島由紀夫への批判・皮肉からはじまって、「エッセイ風味で逃げ切っている」池内紀とか、如才なくかわす村上春樹とか、さらにもっとボケボケで「タルい評論」、「解説者は作品を(真剣に)読んだのか」といった疑問を誘発するような解説文までとりあげ、たたき、痛快。
今回あらためて新書で読みなおして、軽快な口調をつらぬく invention of tradition 的な方法も見えてきます。斎藤さんは、国語的・教訓垂範的な感想文よりも、「社会科系の解説」「地理歴史的背景」を述べて「読み方のヒントを与える」のを優れた解説としています。ちょっと我々に近いのかな?
ダメなのをやっつけるだけでなく、「読者の視野を広げる」すぐれた解説(者)にも言及して、なぜかを考えています。池澤夏樹、島田雅彦、高橋源一郎、原田範行、リービ英雄‥‥。そしてしっかり書誌を追い、テクスト・クリティークをやっている研究者も(今川英子、駒尺喜美、川上春雄)。
「優秀なレファレンスは、独善的な解説をときに凌駕する」(p.163)とまで述べて、まるで 西川正雄 が甦ったかと、思いましたよ。
2017年3月14日火曜日
『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
公 開 シ ン ポ ジ ウ ム(事前登録が要望されています!)
今、歴史的ヨーロッパを問うこと:『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
主催:科研基盤研究(B)
「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」
日時:2017年3月29日(水)13時00分~17時40分
場所:東洋大学白山キャンパス6号館3階6317教室
https://www.toyo.ac.jp/site/access/access-hakusan.html
13:00~13:15 趣旨説明:古谷大輔(大阪大学准教授)
13:15~13:35 第1報告:森田安一(日本女子大名誉教授)
13:35~13:55 第2報告:岸本美緒(お茶の水女子大教授)
13:55~14:15 第3報告:神田千里(東洋大教授)
14:15~14:30 休憩
14:30~15:00 コメント:木村直樹(長崎大)、杉山清彦(東京大)、前田弘毅(首都大東京)
15:00~15:40 『礫岩のようなヨーロッパ』執筆者からの応答:近藤和彦(立正大)、小山哲(京都大)、
中澤達哉(東海大)、中本香(大阪大)、後藤はる美(東洋大)、内村俊太(上智大)、古谷大輔(大阪大)
15:40~16:00 休憩
16:00~17:40 全体討論
プログラム & 参加登録 http://conglomerate.labos.ac/ja/blog/entry-2687.html
18:00 懇親会 東洋大学内にて
今、歴史的ヨーロッパを問うこと:『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史
主催:科研基盤研究(B)
「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」
日時:2017年3月29日(水)13時00分~17時40分
場所:東洋大学白山キャンパス6号館3階6317教室
https://www.toyo.ac.jp/site/access/access-hakusan.html
13:00~13:15 趣旨説明:古谷大輔(大阪大学准教授)
13:15~13:35 第1報告:森田安一(日本女子大名誉教授)
13:35~13:55 第2報告:岸本美緒(お茶の水女子大教授)
13:55~14:15 第3報告:神田千里(東洋大教授)
14:15~14:30 休憩
14:30~15:00 コメント:木村直樹(長崎大)、杉山清彦(東京大)、前田弘毅(首都大東京)
15:00~15:40 『礫岩のようなヨーロッパ』執筆者からの応答:近藤和彦(立正大)、小山哲(京都大)、
中澤達哉(東海大)、中本香(大阪大)、後藤はる美(東洋大)、内村俊太(上智大)、古谷大輔(大阪大)
15:40~16:00 休憩
16:00~17:40 全体討論
プログラム & 参加登録 http://conglomerate.labos.ac/ja/blog/entry-2687.html
18:00 懇親会 東洋大学内にて
2017年2月18日土曜日
大学もチャリティ
「チャリティとは慈善か」とは、前から言い続けている問題ですが、今回、大学院への推薦状を書いていて、ほら、このとおり、と言いたいくらいの見事な例に出くわしました。
The University of Edinburgh is a charitable body, registered in Scotland, with registration number SC005336.
金澤周作さんや伊東剛史さんのお仕事にもよく現れているとおり、海難救援団体も動物園も博物館も子どものためのNPOも、チャリティなのです。慈愛にみちた救貧法人もそうだし、エリートの学校法人も「コミュニティの益となる目的」のために設立・運用されている基金や社団であれば、チャリティです。慈愛にみちているかどうかよりも、信託法のもとにあるファンドにもとづく任意活動であることこそ、要件です。ファンドを賢明に運用して、事業資金を黒字で確保することも、理事会の責務として想定されています。日本でいえば、サントリー文化財団ばかりでなく、日本学術振興会(JSPS)も、国家公務員共済(KKR)も、英米法の範疇ではチャリティと定義されるでしょう。cf.『イギリス史10講』p.220
最初に書いたことにもどれば、エディンバラ大学がチャリティ団体だ(日本の「国立大学法人」ですかね?)という点だけでなく、もう1点、イングランドとスコットランドは別の法体系で動いている、という連合王国の事実もここで確認されます。「無君・一法・万民」のフランス共和国とちがって、「一君・二法・三国民」のイギリス連合王国です。
EU(ヨーロッパ連合)のメンバーであることと、連邦主義とがあいまって、現代のイギリスの経済と大学ビジネスを繁栄させてきたわけですが、さて、EUから抜けてしまうと、どうなるか。
The University of Edinburgh is a charitable body, registered in Scotland, with registration number SC005336.
金澤周作さんや伊東剛史さんのお仕事にもよく現れているとおり、海難救援団体も動物園も博物館も子どものためのNPOも、チャリティなのです。慈愛にみちた救貧法人もそうだし、エリートの学校法人も「コミュニティの益となる目的」のために設立・運用されている基金や社団であれば、チャリティです。慈愛にみちているかどうかよりも、信託法のもとにあるファンドにもとづく任意活動であることこそ、要件です。ファンドを賢明に運用して、事業資金を黒字で確保することも、理事会の責務として想定されています。日本でいえば、サントリー文化財団ばかりでなく、日本学術振興会(JSPS)も、国家公務員共済(KKR)も、英米法の範疇ではチャリティと定義されるでしょう。cf.『イギリス史10講』p.220
最初に書いたことにもどれば、エディンバラ大学がチャリティ団体だ(日本の「国立大学法人」ですかね?)という点だけでなく、もう1点、イングランドとスコットランドは別の法体系で動いている、という連合王国の事実もここで確認されます。「無君・一法・万民」のフランス共和国とちがって、「一君・二法・三国民」のイギリス連合王国です。
EU(ヨーロッパ連合)のメンバーであることと、連邦主義とがあいまって、現代のイギリスの経済と大学ビジネスを繁栄させてきたわけですが、さて、EUから抜けてしまうと、どうなるか。
2017年2月13日月曜日
しながわネットTV
品川区公式チャンネル 「しながわネットTV」というサイトに、すでに今月初めから搭載されて、インターネット配信されているとのことです。
こちらからアクセスしてください ↓ ↓
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000030400/hpg000030327.htm
近藤和彦:「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
これと同じコンテンツが youtube でも見られるということです。
前半 → (56分)
後半 → (42分)
なお、近藤の顔と声を見聞きしたくない方には、文章化したテクストだけを読めるようになっています。PDFで前半9ページ、後半7ページ。ダウンロードもできるはずですが、ただし、こちらには写真など図像は載っていません。
前編 pdf
後編 pdf
前から申しておりますとおり、これを学問的に再構成して根拠も明記した論文としては
「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『文学部論叢』のために書きましたので、こちらをご覧ください(3・4月に公刊)。
こちらからアクセスしてください ↓ ↓
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000030400/hpg000030327.htm
近藤和彦:「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
これと同じコンテンツが youtube でも見られるということです。
前半 → (56分)
後半 → (42分)
なお、近藤の顔と声を見聞きしたくない方には、文章化したテクストだけを読めるようになっています。PDFで前半9ページ、後半7ページ。ダウンロードもできるはずですが、ただし、こちらには写真など図像は載っていません。
前編 pdf
後編 pdf
前から申しておりますとおり、これを学問的に再構成して根拠も明記した論文としては
「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『文学部論叢』のために書きましたので、こちらをご覧ください(3・4月に公刊)。
2017年2月11日土曜日
『みすず』656号
今晩、寒天に満月が冴え渡っていることにお気づきでしょうか?
どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!
そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。
1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』
内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。
「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。
どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!
そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。
1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』
内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。
「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。
2017年1月30日月曜日
公開講座の動画
ご無沙汰しています。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。
そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95
論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。
2017年1月3日火曜日
謹賀新年
みなさま、酉の年をいかがお迎えでしょうか。
こちらは 69歳とあいなりました。ときに医者の世話にならないでもないですが、なぜかアイデアは以前よりもさかんに泉のごとく湧いてくるのですね! アイデアをどうやって人に見せられる文章までもってゆくかが問題です。
2016年盛夏に数年来の共編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)ができあがり、これを持ってケインブリッジ(と北ウェールズ)に参りました。話す人すべてEUリメイン派でした! ただし『図書』の新年1月号への寄稿を機会に調べなおして、ポピュリズムやナショナリズムだけでなく、イギリスにおける「議会主権」(あるいは議会絶対主義)という政治文化については等閑にできないなと再考しました。ケーニヒスバーガの卓見にも思いいたりました。イギリス最高裁の判決は1月早々に出るはずです。
シェイクスピア没後400年にちなむ公開講演へのお誘いがあり、高校以来棚上げにしていた『ハムレット』に再び取り組み、10代では想像もしなかった 解 に到りました。近世史あるいは『礫岩のようなヨーロッパ』を勉強してきた結果として付いてきた賜物です。 「天地のあいだには君の学問では想いもよらぬことがあるのだよ」と言い放たれたホレイショくんとしても、それが「長い16世紀」の states system の秩序問題だとは、想いもよらなかったでしょう。「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」として『立正大学・文学部論叢』(2017年春)に発表します。
今年はロシア革命100年ということもあり、多くの出版が予定されているようです。議論はますますおもしろくなりそう。ぼくの側では、コミンテルン史観(そのソフト版も含めて)の批判として「文明を語る歴史学」を『七隈史学』(2017年春)に寄稿してこれまでの議論を整理します。
2017年正月 近藤 和彦
こちらは 69歳とあいなりました。ときに医者の世話にならないでもないですが、なぜかアイデアは以前よりもさかんに泉のごとく湧いてくるのですね! アイデアをどうやって人に見せられる文章までもってゆくかが問題です。
2016年盛夏に数年来の共編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)ができあがり、これを持ってケインブリッジ(と北ウェールズ)に参りました。話す人すべてEUリメイン派でした! ただし『図書』の新年1月号への寄稿を機会に調べなおして、ポピュリズムやナショナリズムだけでなく、イギリスにおける「議会主権」(あるいは議会絶対主義)という政治文化については等閑にできないなと再考しました。ケーニヒスバーガの卓見にも思いいたりました。イギリス最高裁の判決は1月早々に出るはずです。
シェイクスピア没後400年にちなむ公開講演へのお誘いがあり、高校以来棚上げにしていた『ハムレット』に再び取り組み、10代では想像もしなかった 解 に到りました。近世史あるいは『礫岩のようなヨーロッパ』を勉強してきた結果として付いてきた賜物です。 「天地のあいだには君の学問では想いもよらぬことがあるのだよ」と言い放たれたホレイショくんとしても、それが「長い16世紀」の states system の秩序問題だとは、想いもよらなかったでしょう。「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」として『立正大学・文学部論叢』(2017年春)に発表します。
今年はロシア革命100年ということもあり、多くの出版が予定されているようです。議論はますますおもしろくなりそう。ぼくの側では、コミンテルン史観(そのソフト版も含めて)の批判として「文明を語る歴史学」を『七隈史学』(2017年春)に寄稿してこれまでの議論を整理します。
2017年正月 近藤 和彦
2016年12月31日土曜日
シェイクスピアの歴史意識
10月に立正大学でやりました公開講演の要録がパンフレットになりました。表紙を写真でご覧に入れますが、しゃれたデザインです。立正大学、品川区のどちらからこんなアイデアが湧いてきたのでしょう?
ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。
ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。
2016年から2017年へ
世界史の潮流を変えそうな勢いの、今年おこった2つの事件を挙げるとすると、第1にアメリカ合衆国におけるトランプの当選、第2にヨーロッパ連合(EU)とイギリス(連合王国)の関係でしょうか。マスコミでいろいろと言われていますが、アイデンティティと秩序をめぐって、ぼくが『図書』1月号に書いた程のことを指摘している記事はあまり多くない。
重大事故の原因は、つねに一つではなく複数。革命は(ピューリタン革命もフランス革命もロシア革命も)つねにいくつもの要素の複合した情況(contingency)の産物です。
右か左か、白人中間層の不満、反エリート・反既得権益・反知性主義の「箱」を開けてしまったネットメディア(SNS)の存在も、たしかに問題でしょう。しかし、現状および将来に不安を抱く中間層(とそれに取り入るポピュリズム)だけで過半数を占めたわけではない。それとは性格のちがう要素も一緒に複合しています。
権力闘争という要素もあったでしょう。それらに加えて、イギリスでは立憲主義(議会主権)という問題、アメリカでは既得権益でうまくやってきた共和党成金たち(Trump家もその例)のさらなる利権欲もあったでしょう。フランス革命が民衆の反乱よりも、まずはアリストクラート(特権貴族)の反動から始まったことを忘れてはなりません。フランス革命の研究史から学ぶことは多い。
重大事故の原因は、つねに一つではなく複数。革命は(ピューリタン革命もフランス革命もロシア革命も)つねにいくつもの要素の複合した情況(contingency)の産物です。
右か左か、白人中間層の不満、反エリート・反既得権益・反知性主義の「箱」を開けてしまったネットメディア(SNS)の存在も、たしかに問題でしょう。しかし、現状および将来に不安を抱く中間層(とそれに取り入るポピュリズム)だけで過半数を占めたわけではない。それとは性格のちがう要素も一緒に複合しています。
権力闘争という要素もあったでしょう。それらに加えて、イギリスでは立憲主義(議会主権)という問題、アメリカでは既得権益でうまくやってきた共和党成金たち(Trump家もその例)のさらなる利権欲もあったでしょう。フランス革命が民衆の反乱よりも、まずはアリストクラート(特権貴族)の反動から始まったことを忘れてはなりません。フランス革命の研究史から学ぶことは多い。
2016年12月19日月曜日
中之島センター & ダイビル
(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。
自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。
ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。
つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848】
ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。
2016年12月18日日曜日
大阪歴史博物館
今月10-11日には大阪歴史博物館で都市史学会大会、17日には大阪大学中之島センターで関西中世史研究会と古谷科研の合同研究会。2つの週末に連続して(帯状疱疹の痣をさらしつつ)歴史的な大阪の空気を呼吸しました。
大阪はぼくの両親(松山と尾道)が1945年2月4日に結婚して住んだ所です。その3月に大阪大空襲で焼け出されて松山に戻りましたが、戦後1953年にふたたび大阪に出て働きました(戦後に住んだのは阪急沿線・桂の住宅で、こどものぼくには大阪市はよくわからない広大な都会でした)。
このたびの都市史学会大会は、大阪城と難波宮跡にはさまれた歴史博物館で、なぜかNHKと礫岩のようにくっついた建物にて。
古代から近代までの大坂・大阪史の問題の豊かさを具体的に示していただき、また合間に博物館の展示を拝見しました。閉会後の夕刻には難波宮のあとを歩いてみました。
古代からの歴史の長さという点でも、水運による瀬戸内海・東アジアとの接続という点でも、大坂は(江戸より)はるかロンドンに近い存在かなと考えました。
もし1868年に東京でなく大阪に遷都していたとしたら、ロンドンとの類似性はさらに増した、というより複雑になったかな。
午後のブルッゲ・ベルゲン・ヴェネチア・カイロ・アムステルダム・長崎における商人集団と多文化のありかたをめぐるシンポジウムでも、いろいろと示唆をいただき、なお考えを深めてゆきたいと思いました。
みなさま、ありがとうございます。
2016年12月5日月曜日
帯状疱疹とゴルバチョフ
史学会大会の前の木・金あたりから頭皮(→ 顔の皮膚)の神経痛があり、その痛みが眼孔の奥にも及んだので、11月12日(土)に普段からお世話になっている眼科に行ってみたところ、帯状疱疹(herpes)が出るかもしれない、と予告されました。それまで、帯状疱疹とは想像もしていなかったので、「道」がみえて、なぜか一安心。
13日(日)から額に疱疹が出始めました。痛みも増します。しかし、これがだんだん増えて眼に近づいたので、不安になり、火曜朝に順天堂病院に予約なしながら(皮膚科は急患を受け付けるというので)、これから行きたいと電話したら、なんと即日緊急入院という危ないケースもあり、と受け付けてくれた!
「万一の場合」にはこれがないと困る、という林・柴田両先生以来の教訓で「歯ブラシ」と、それから(さすがPCはなしで)原稿と材料を持って、順天堂病院に参りました(家族は所要で出かけているので、ぼく一人で)。電車のなかでも気付いた人はそっと距離を保つ、見るも無惨な形相です。
ところが、皮膚科では血液検査と診察で、典型的な「三叉神経の帯状疱疹」ということで(こわい Ramsay Hunt症候群ではない)、適切な措置をしていただき、なんだか拍子抜けで、そのまま帰宅して、言われたとおりの経過をたどっています。18~20日くらいが峠だったでしょうか。
早めに治療(抗ウイルス錠+鎮痛錠+胃保護+軟膏)を開始したことが良かった、と言われています。顔や頭髪も積極的に洗って清潔にするように、とのことで心理的に楽になりました。孫と接触しても大丈夫、とも。
見苦しいので、額に大きなガーゼを当てて授業をしたこともあります。電車内は帽子を被ることにしています。ゴルバチョフの額もどきの瘡蓋がいったんとれて、今は赤褐色のケロイド状でまだらな傷跡です。11月26日の書評会でも、12月3日の研究会でも、顔を合わせた方々を驚かせました。この次は火曜に同じ病院内の皮膚科とペインクリニックに行って、経過を見ます。頭髪が伸びてしまって、鬱陶しいのですが、散髪に行くのはその後ですね。
【ゴルバチョフ大統領(左)といっても、今の学生たちは知らない!これにもビックリ。】
2016年11月26日土曜日
「いき」の哲学
承前。『「いき」の構造』は今のように岩波文庫にはいるより前、ぼくが学生のときに、岩波書店が旧版のままの再刊を出して、その「いき」な装幀が話題になったので、薄い本なのに、と思いながら(!)初めて読みました。
パリと京都のエスプリ(?)を知る東京人・九鬼周造による英語圏の history of ideas のような才覚が際だちました。極端(ヤボ、下品)を排した、意気・粋・生きかたの解釈学として、全面的に感服します。だがしかし、悲しいかな、両大戦間の知識人として、議論を「民族的特殊性」へと絞りあげ、「いきの核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(岩波文庫版、p.107)としてしまう。そうしないと収まらない、時代のなにか強迫的な磁場のようなものがあったのでしょうか。
にもかかわらず、次のようなコメントがあるかぎり、この本は読まれ続けるべきです。その「序」の第2段落に
「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
とあります。この「哲学」とは、狭義の哲学でもあるけれど、あのハムレットがホレイショに向かって言う
「天と地のあいだには、君の philosophy では思いもつかないことがあるのだよ」
の philosophy であり、また現在の欧米の大学における Ph D(Doctor of Philosophy)というタームに存続している、人文的な学問、学知、のことですね。ですから
「生きた学問は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
「生きた歴史学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
と、無理なく言い換えることができる。
岩波書店の岩波文庫アンケートで、九鬼周造のドイツ・フランスにおける「経験を論理的に言表すること」に触れようとして、1冊につきたった90字の文字制限では、言いたいことを分かるように表現するのはむずかしかった。 背景としては、EU問題、ピューリタン史観への批判(中庸の再評価)も『史劇ハムレット』論も含まれていました。
この2週間の帯状疱疹の苦しみから快復して、さて次の仕事は、立正大学の公開講座「インテリ王子ハムレットと学者王ジェイムズ」の録音起こしの校正に続いて、学問的な註を補い、これを論文『史劇ハムレット』論として仕上げることです。歴史学による文学批評の批判ですよ!
世界史の奔流
「アダム・スミス以来の普遍性と世界資本主義のチャンピオンだった英米両国があいまって、世界史の潮流を変えそうな大事件」が続きました。これについて黙っていられなくて、『図書』が機会を与えてくださったので、
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」
という文章を寄稿しました(来1月号)。https://www.iwanami.co.jp/tosho/
問題を全面的に分析して論じる余力はないので、1) イギリス史の「アイデンティティと秩序」を長期にわたって叙述した者として、また 2)「戦争と宗派対立の続いた近世ヨーロッパにおける諸国家システム、‥‥複合的な国のかたち」を討論している者として、したためたメモに過ぎません。ケーニヒスバーガやフォーテスキュの名も出しましたが。
時代の奔流、危機感のなかで、新しい思考は生まれる、ということでしょうか。
その直前直後に読んだのは(『ハムレット』関連に加えて)
・Emanuel Todd 『問題は英国ではない、EUなのだ』(文春文庫, 2016) ← 7月3日の記事を含む
・Dani Rodrik, The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World Economy (Norton, 2012)
・Frank Trentmann 『フリートレイド・ネイション:イギリス自由貿易の興亡と消費文化』(NTT出版, 2016) ← 7月付の「日本語版への序文」を含む
・秋田茂ほか『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ書房, 2016)
・九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫, 1979) ← 初版は1931年
でした。
2016年11月10日木曜日
ケンカを知っているトランプ
ふだんの業務に加えて、「新しい入試制度」で大学のプレゼンスをどう高めるかとか、「UKとEU」といった文章、あるいは手を抜けない「推薦書」 etc.で寸秒を争うような毎日なのに、アメリカ大統領選挙は、沈黙を許さぬ結果です。NHK-BSでの藤原帰一先生の表情も硬かったけれど、トランプはハッタリだけだろう、といった甘い態度でいると、たいへんな世の中、万人の万人にたいする戦いの世になるのかもしれませんぞ。
『朝日新聞』が「権力への怒り」といったタイトルで解説しようとしているのは、不用意で誤解をまねく。嫌悪感さえ覚えます。
トランプを駆り立てているのは「権力への渇望」「力への妄信」であって、怒りではない。むしろ人民(とくに poor white)の不定形の不安と不満を「外来のもの」に向けてあおる衆愚政治です。ユダヤ人への差別的な言説、ナチス的な要素に対してきわめて敏感なアメリカのメディアは、イスラムやラテン系に対するヘイトスピーチについては野放図でした。日本車や日米安保への無知な発言を放っておくというのも、3・40年ほど昔の大衆レヴェルです。なにか「問題を分析し理解して取り組む」といった姿勢じたいを軽蔑しているようなところがある。
ケンカの仕方を知っているトランプの最後の切り札(trump)は、州権的な大統領選挙のシステムを熟知したうえで、激戦州、決定的な州 - Florida, Ohio, Pennsylvania - にキャンペーンを傾注して、選挙人団(electoral college: すなわち選挙社団! という近世的編成ですね。)を獲得することでした。これがみごと効を奏したわけで、戦略的な勝利です。いくらマサチューセッツ州やカリフォーニア州でたくさん票を得ても、選挙人の数が定数より割り増しされるわけではないのだから。
トランプはバカではない。計算高く、権力欲は強烈。プーチンでも金正恩でも交渉次第で握手するでしょう。こうしたクレヴァーな「ジャイアン」にたいして、安倍政権は賢明に対処できるでしょうか。たくましく、現代の「万人の万人にたいする戦い」を乗り切る人材と裁量をもっているかな?
近世の states system (諸国家システム)が今日的に再現し、グロティウスの「戦争と平和の法」が書かれる前夜のような弱肉強食の情況です。こういったときに「信仰によってのみ義とされる」とか、悪魔(Antichrist)を呪うとかいう立場に、未来はありません。ひたすら「公共善」をとなえる politique派(アンリ4世!)、あるいは中道(via media)のエリザベス女王を憧憬します!
2016年11月9日水曜日
札つきトランプ
驚きました。みなさんもそうでしょう。
Trump triumphs, and Clinton is let down.
6月23日のイギリスと同様に、アメリカのような先進的な大衆社会で、このような衆愚政治がおこなわれている。共和党がこんな男を大統領候補にして、好き勝手にやらせるしかなかったこと(会社社長ならOKでしょう);民主党がこれだけ嫌われ、政治センスの欠けた女に任せるしかなかったこと(優等学生とか弁護士とかならOKだとしても)。
アメリカの政党政治、そして民主主義に暗雲が差しています。むしろ世界的な暗雲です。
人民 対 エリート、といった構図をマスコミが大きく書き立てて人気を博するなんて、健全なわけがない。Two nations(『イギリス史10講』pp.212-3).19世紀のディズレーリ以来の政治の課題、解決すべき問題です。Politics そして政治社会が復権すべき時です(『礫岩のようなヨーロッパ』p.10)。
同時に、こうした接戦の場合のマスコミの報道および世論調査について、6月のイギリス、11月のアメリカと、これだけハズレが続くと、信頼されなくなるのではないか。はたしてこれまでの投票行動の予測手法が妥当なのか。大衆社会、SNS社会に対応できないのかもしれない。
Trump triumphs, and Clinton is let down.
6月23日のイギリスと同様に、アメリカのような先進的な大衆社会で、このような衆愚政治がおこなわれている。共和党がこんな男を大統領候補にして、好き勝手にやらせるしかなかったこと(会社社長ならOKでしょう);民主党がこれだけ嫌われ、政治センスの欠けた女に任せるしかなかったこと(優等学生とか弁護士とかならOKだとしても)。
アメリカの政党政治、そして民主主義に暗雲が差しています。むしろ世界的な暗雲です。
人民 対 エリート、といった構図をマスコミが大きく書き立てて人気を博するなんて、健全なわけがない。Two nations(『イギリス史10講』pp.212-3).19世紀のディズレーリ以来の政治の課題、解決すべき問題です。Politics そして政治社会が復権すべき時です(『礫岩のようなヨーロッパ』p.10)。
同時に、こうした接戦の場合のマスコミの報道および世論調査について、6月のイギリス、11月のアメリカと、これだけハズレが続くと、信頼されなくなるのではないか。はたしてこれまでの投票行動の予測手法が妥当なのか。大衆社会、SNS社会に対応できないのかもしれない。
2016年10月18日火曜日
「豊洲問題」
今マスコミと小池知事が、あげて土壌、地下水、空気を問題にしています。でも、ここで問題にしたいのは市場建設の是非よりも「豊洲」という地名そのものです。
あなたは江東区豊洲に来たことがありますか? 一度も歩いたことのない人には想像もできないくらい広い地域です。1988年から隣接する越中島の住民として、よく知っていました。夜中に遠く、ドックの船舶の汽笛が聞こえたものです。
→ http://www.toyosu.org/ 豊洲2・3丁目まちづくり協議会
「豊洲1丁目~5丁目」は一つの島をなし、戦間期からおおむね石川島播磨工業の造船・メインテナンスの大工場と関連の中小企業、そして住宅、飲食店が拡がっていました。国鉄の貨物線も走っていました。いま地図で計ってみると、全部で約1400m×800mの広さ。石川島播磨工業は1980年代に、まず創業の地・中央区佃から撤退し、そこは今、超高層住宅が林立しています。やがてさらに江東区豊洲2・3丁目の主工場敷地も再開発することが決まり、最初の超高層・NTTデータの豊洲センタービルが竣工したのは1992年でした。そして IHI と改名した本社ビル(豊洲3丁目)、芝浦工業大学、いくつものタワーマンション、商業施設、オフィス、「アーバンドックららぽーと」(豊洲2丁目)が開業したのが、2006年。湾岸を代表する、職住近接の街として楽しい空間ができました。子どもをもつ親(と祖父母)にとってキッザリアは一度は行くメッカでしょう。
これとは水路をはさんで、直角に接する「豊洲6丁目」というこれまた広大な、約1800m×600mほどの埋め立て地があって、東京ガスおよび東京電力の工場が占めていました。ほとんど住宅はなかったみたい。やがて、こちらの用地が収用され、それぞれガステナーニおよびTEPCOのミュージアム施設以外は空き地がひろがり、そこに「ゆりかもめ」が走り、湾岸の高速道路へのアプローチ公道が何本か伸びる、付随して流通業の大配送センターが建つ、という状態が長く続いていました。ここに新市場が移転・建設されることになったのです。http://www.tokyogas-toyosu.co.jp/project/toyosu22/ とよす22
繰りかえしになりますが、「豊洲1丁目~5丁目」と「豊洲6丁目」とは別で、(2丁目・5丁目の境にある)「ゆりかもめ」豊洲駅から二つ目の駅が「新市場前」です。「豊洲1丁目~5丁目」の住民・勤め人は、ジョギングか犬の散歩でもなければ、行ったことはないんじゃないでしょうか。おなじ豊洲という地番で一緒くたにするのは、迷惑な話で、たとえれば築地全部(1200m×800m)を銀座9丁目と呼んで、銀座(約1100m×700m)と築地を区別することなく一緒にするのより、もっと乱暴な企てです。
2016年10月14日金曜日
悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇
【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。
複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。
そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)
12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。
2016年10月13日木曜日
『ハムレット』
ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。
昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。
ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。
ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。
ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.
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