2018年6月18日月曜日

大阪の地震


 今朝、起きぬけの大阪北部地震ですが、マグニチュード6.1。高槻、茨木、箕面あたりで震度6弱。ちょうど大阪大学のキャンパスおよび宿舎の広がる付近ですね。まだ正確なことを知らぬまま書くのははばかられますが、皆さん、どうぞ身の安全を第一にお考えください。
 85歳の男性が自宅で倒れかかってきた書棚に挟まれて死亡というのも、痛ましいニュースです。寝室に「腰より高い物は置くな」とよく言いますが、住宅事情からむずかしい場合もあるでしょう。
【さきの東日本大震災で、ぼくはたまたま自宅にいて難を逃れたのですが、翌日、大学に行ってみたら、部屋のドアはすなおに開かず、全身の力で押して入ってみると、書棚の本や書類が床に散乱していました。固定書棚とは別に、高さ2mのスチール書棚も16基くらいならんでいましたが、据え付けかたを以前から -初歩的な物理学の知恵で- 工夫していたのが幸いしたか、倒れたものは一つもありませんでした。】

 それにしても大都市の地震としては、被害は特別に甚大ではなく、耐震、耐火の対策がそれなりに効果があるのだと実感しました。不幸中の幸いです。
 フォーラム〈地球学の世紀〉ですでに2011年より前に(!)地震学者が警告していました。21世紀日本にとって、次から次と大地震が起こるのは避けられない。だから、都市とインフラの耐震化・津波対策は、ほとんど運命的に重要だと。
 → このフォーラムの全もくじは、https://honto.jp/netstore/pd-worklist_0629016704.html
 全会合の記録が、松井孝典監修全・地球学 1996-2017(ウェッジ、2018)というでかい本として出版されています。ぼくも2項ほど書いています。

2018年6月6日水曜日

階級闘争の歴史

 <承前>
 いま立正大学の院生たちと一緒に読んでいるテキストは、Gordon Taylor, A Student's Writing Guide (Cambridge U.P.). この p.10 に挙がっているエピソードを、昨日のラウル・ペック監督は味読すべきだと思いました。

... when I read those words by Karl Marx, 'The history of all hitherto existing society is the history of class struggles', childhood memories made me say 'and that's true!', just as years of reading and observation later were to fill in the details for that proposition and raise doubts about what it leaves out.

 そう、階級闘争は、ことの一面にすぎない。それ以外のことが人類史には一杯ある。読むべきこと、考察すべきことをネグレクトして、問題を単純に絞り上げて「敵」を示した上に、ナイーヴな大衆を扇動したマルクス・エンゲルスは、ほとんど文革の毛沢東と同罪、共和党のトランプと同じかもしれない。

 19世紀前半まではどうか知らないが、少なくとも1848年『共産党宣言』以後の社会主義運動にとって、ブルジョワ社会を倒したあと、どういった社会を創るのか、そして議会や国家、そして正しい者の「前衛党」といったものをどう機能させてゆくのか、こうした問題をきちんと考えることができないまま(棚上げにしたまま)、「批判的批判」に甘んじていた。これは、重大な欠損でした。

 というわけで、映画「マルクス・エンゲルス」は「カール・マルクス生誕200年記念作品」と銘打つには、足りない出来。責任の過半は、監督と制作スタッフの力量不足にあるかと見えます。
 いかに今の世がひどい、ネオリベラルが跳梁跋扈しているからといって、旧態依然たる共産党のプロパガンダでよしとするのは、人民への愚弄だと、ぼくは受けとめます。そう、ぼくはマルクス主義についても、ピューリタニズムについても、修正主義者です。悪しからず!

2018年6月5日火曜日

映画「マルクス・エンゲルス」


 今朝、岩波ホールで映画「マルクス・エンゲルス」を見ました。朝から行列ができて、若いのも退職世代も一杯なのには驚きました。

 フランス語原題は Le jeune Marx (若きマルクス)で、1840年代のケルン、パリ、ブリュッセルにおける妻イェニ(ジェニ)との生活、エンゲルスとの出会いと社会主義者たちとの論争。1848年2月の共産党宣言で終わる映画というので、あまり多くは期待できないな、と思いながら行ったのですが、案の定。
(ほとんどレーニン・スターリンの教科書にも出てきそうな)ドイツのヘーゲル哲学、フランスの労働運動、イギリスの経済学という3つの伝統(資産!)の合体したところに生まれる正しい理論・運動としてのマルクス主義。その生成過程をカール、イェニ、フレッド(エンゲルス)の信頼と友情と協力関係で描くという構えです。
 監督ラウル・ペックさんは1953年、ハイチ生まれとのことですが、ちょっと勉強が足りないのではないかと思わせるほど、図式的な(共産党の)マルクス主義理解です。そもそも若きマルクスの学位論文 -マルクスは19世紀前半の「大学は出たけれど」どころか、オーバードクター=アルバイターのハシリです- からのつながりは一切触れられないし、(『経済学哲学草稿』にも、いや後年の『資本論』の価値論にも現れていた)ヒューマンな人間論、むしろ実存哲学的な考察はオクビにも出てこない。

 映画の最初に森林伐採法・入会権にかかわる場面があるけれど、これもプロイセン政府の暴虐ぶりを表現するエピソードというだけの意味づけ? プルードンとの論争も、(字幕では)「所有」か「財産」か、といった無意味な訳になってしまった。Propriété も Eigentum も、自分自身(proper/eigen)であることと領有する(appropriation)ことにも掛けたキーワードです。
平田清明の『市民社会と社会主義』(岩波書店、1969)を読んでから出直すべきかも。これは、往時のベストセラー、もしや「岩波現代文庫」に入れるべき一つかもしれません。

 この映画で唯一、映画らしい説得力があったのは、ことばの運用です。マルクス、エンゲルス、イェニともに場面に応じて、相手と感情のままにドイツ語、フランス語を用い、ときにチャンポンでも通じた。むしろ19世紀前半はまだ英語がマイナーな言語であったのだとわかる作りです。そしてマルクスは、経済学を勉強するために、必要に応じて、英語を習得してゆく。メアリはアイリッシュ系の英語。

 他党派にたいするマルクス・エンゲルスの容赦のなさは、この後、ますますひどくなり、また48年議会におけるドイツ周辺部を代表して出てくる議員のドイツ語(の発音)にたいするエンゲルスの差別発言たるや、恐るべきものがありました。ぼくは『マルエン全集』で48年前後の赤裸々な表現を見て以来、エンゲルスをこれっぽっちも好きになれない。これほどの証言を全部収録して全訳する「全集刊行委員会」は何を考えていたのだろう‥‥。冷めた心でマル・エンに接しましょう、とか?

 大学院に入ってすぐの柴田ゼミのテキストは、1864年ロンドンの「第1インター」の議事録(英・仏・独語)でした。そこでの少数派=マルクス・エンゲルスの党派的で強引な動きもまた印象的で、柴田先生はどういうつもりでぼくたちにこのテキストを読ませているのだろう(そろそろセクト主義から足を洗うように‥‥とか?)、とにかく愉快でない経験でした。そして権威的マルクス・エンゲルス主義者であることから気持が確実に離れるきっかけにもなりました。『社会運動史』のメンバーへの援護射撃というおつもりだった?
 70年代半ばの柴田先生は19世紀フランス社会主義の歴史に集中しようと考えておられたようで、西川正雄さんと院ゼミを合同で持たれたこともありました。

2018年5月31日木曜日

東京大学出版会の歴史書

 渡邊 勲(編)『37人の著者 自著を語る』(知泉書館、2018)が到来。読み始めると止まらない。

 残念ながら、縁の薄かった東大出版会、そして歴史学研究会でした。ぼくの東大時代に、渡邊さんはすでに偉くなっていて、その下の高橋さん、高木さんから声がかからなかったわけではなかったのですが。もっぱら近年のぼくの怠慢のために「単著」はまだ日の目を見ていません。

 「渡邊編集長への献呈エッセイ集」ともいうべき、440ぺージをこえる書。部分的には、じつは「老人の繰り言」という箇所分もないではないが、むしろぼくの知らなかったいくつもの事実(坂野潤治、色川大吉‥‥)、そして研究史的な変遷や史料についての明快なコメント(権上康夫、高村直助‥‥)がおもしろい。
 なんと椎名重明先生が立正大学時代に研究室に置いた鞄を盗まれ、カネ目のものは失ったが、犯人にとって無意味なロンドンで書きためた史料ノート2冊はキャンパス裏手の有刺鉄線に引っかかっているのを五反田警察がみつけた! といった事件は知りませんでした。このノートが奇跡的に見つからなかったら、『近代的土地所有』(1973)はこの世に生まれなかったのですね。
 西洋史では、ほかに和田春樹、城戸毅、油井大三郎、増谷英樹、南塚信吾、木畑洋一、伊藤定良といった方々。

 というわけで、渡邊さんが東大出版会の編集者になった1968年4月(ぼくが本郷に進学した春!)から定年退職なさる2005年まで。そのうちでも主には70年代、80年代の、歴史学と出版をめぐるエピソードが一杯。最後の色川『北村透谷』は、出版契約からなんと30年以上かかって、1994年にできあがったのだという。

 とはいえ、たとえば石井進さんや西川正雄さんといったキーパーソンの証言がないと、重要な出版企画がどのように実現していったのか、あるいは消えていったのかの全体像は見えず、画竜点睛を欠く観があります。この本の編集は、もうすこし早めに始めてくださったら良かったのに、と思います。

2018年5月23日水曜日

広島にて


 19-20日に日本西洋史学会大会がありましたが、ぼくの宿は、このように元安川のほとり、広島平和記念資料館をすぐ左下に見て、原爆ドームを右正面に遠望する所にありました。
 こういう立地に立つと、かつての秋葉忠利・広島市長を想い起こします。
 秋葉さんは、例の秋葉京子さんの兄上。ぼくの中学の大先輩で、高校は教育大附属、AFSをへて東大理学部へ、そしてMITに留学して、アメリカで活躍する数学者でした。それが、あるときから日本社会党の議員になり、そして広島市長選挙に立候補して当選、3期を勤められました。
 数学者が政治家になった経緯については存じません。それにしても社会党内で村山富市に対抗し、東京と千葉とアメリカしか知らなかった彼が広島に根付いて、3度の市長選挙に勝利し、平和都市宣言を貫き、オバマ大統領を招致し、今あるような活気ある地方中核都市の建設に奮闘した、というのは生半可なことではないでしょう。

 高校の優等生としてAFS留学を経験したこと、コスモポリタンな学問=数学を専門としたこと(彼のあと数学者になる人/なろうとするヤツが、秋葉さんのあと、ぼくたちの学年まで何人も続きました!)、などもポジティヴな要因だったでしょうか。
 「そらには若葉かがやきて
  胸には燃ゆる自由の火‥‥」
といった中学の校歌を、ぼくたちは歌っていました。

 ‥‥そんなことを考えていた広島の宿に、なんと中学の高梨先生から電話をいただきました。伊那谷で秋葉京子のリサイタルをやろうという企画の話です。
 念のために秋葉忠利さんのブログを探してみたら、今日は日大アメフット部の問題を論じておられました。
http://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/

2018年5月13日日曜日

承前:古稀の認識


 昨日、中学の同期会で心に刻み込まれた第2の点は、70歳の元生徒たちの生活に根づく認識です。
 親の介護といった件はあまりに多くの人の共通経験で、とくにどうということもないほど。
 それが配偶者のこととなったとたんに、とくに男子ですが、生活と世界観の大きな転変に至ることもある。‥‥ それでも前を向いてポジティヴに生きるヤツが何人もいたのだと遅まきながら知って、これは想定外のたいへんな収穫でした。
 ひとは一人で生きているわけではない/一人だけで生きようとしてはならない、だれの支援でもありがたい(すなおに受けとめよう)、といった真理に心いたるのも、老境に入ってこそです。
 千葉駅で別れ際にいただいた、ちょっとした一言で目頭が熱くなったりしました。

2018年5月12日土曜日

美しき五月に

承前
 申し遅れましたが、ぼくの音楽的環境を語るにあたって、もう一人の重要な人物、秋葉京子さんについては、前にも書きました。
 今日も最後にぼくが小さな声で Im wunderschönen Monat Mai, とつぶやいたら、直ちにしっかりと、やさしい声で als alle Knospen sprangen,
da ist in meinem Herzen die Liebe aufgegangen. と続けてくださいました。
なんて美しい響きだろう。
 同級でしたが、すでに中学を卒業するときには声楽家になると決めておられましたから、別の道を歩み、1970年代からはドイツでご活躍でした。カルメン、マーラー、バッハ‥‥ 最後は国立音楽大学。今日集まったなかでも国際派の代表格です。

古稀の同期会


 今日はなんと古来稀なのではなく(幹事の真ちゃんによると)首を回すとコキコキッていうから、千葉の中学の同期会。元生徒29人と先生方3人が集まりました。同期の母集団は男女127人でしたが、逝去者がすでに10人を越えたということで、出席率は1/4を越えています。
最近は2年に一度開いているようですが、ぼくは2014年以来。懐かしい顔や、どうやっても想い出せない顔や、いろいろありましたが、個人的にはとりわけ2つの点で感銘を受けました。久しぶりの晴天、土曜の昼に行ってよかった。
 
 第1は、先生方のこと。熱血のクラス経営をしてくださった斉藤先生(教員として最初に受けもった学年から最後の学年まで、すべての生徒の顔と名を覚えていらっしゃる!)、中学で習うことは一生役に立つといいながらカンナの扱い、釘の打ち方を指導してくださった黒川先生、そしてなにより、わが青春の高梨先生がいらした! 高梨先生はぼくたちが中3の時に新卒で赴任されたわけだから、ぼくたちより8歳上?とても信じられない、きれいな女性です。ぼくより(同席のほとんどより)ずっと若く見える!
 この高梨先生は、ぼく一人のマドンナだったのではなくて、中学の音楽室を楽しい場にしてくださった。それまでの主任のパチ先生が教頭になって忙しすぎるとかで、急遽新米の先生にすべてが任されたわけですが、毎日、授業が終わると、松本、金子、西川、若井‥‥といった悪ガキたちが集って、勝手にLPレコードの「蔵出し」をすることが許されたのです。
 1962年の時点で考えると高水準のステレオ設備、音楽室の空間に、大音響でブラームスの第1交響曲、チャイコフスキーの悲愴、‥‥が響き、ぼくたちは、スコア(総譜)をみながら、指揮棒をふりながら、これらを次々に聴いたのです。夏休みには受験準備よりもベートーヴェンを第1番から9番まで連続で聴こう、ということになりました。このときは先生の選定で、ワルター+コロンビア交響楽団の交響曲全集でした。3・5・7・9といった奇数番の力強さとドラマ性に比べて、15歳の男子には、偶数番のシンフォニーはちょっと半端な印象だったりしましたが。
 ちょうど千葉大教育学部が猪鼻台から西千葉に移るにともなって、半分ゴミ扱いされたSPレコード(ブッシュ室内楽団のブランデンブルク協奏曲とか‥‥)を、廃棄処分でいただいたりしました。
 勢いあまって、夕刻は街にくりだして、ちょうど「国電」で帰る組と京成電車で帰る組とが分かれる交差点にあった「松田屋」楽器店では、なまいきにも新譜を「試聴させてください」なんて言って、アイーダを聴いたり、トリスタンの「愛の死」の和音についてああだこうだと言ったりしていたのです! 
【いや、落ち着いて考えると、トリスタンは中3ではなく、翌年、高1になってからだった‥‥ 仲間も通学路もほとんど同じだったので、混同しやすい。したがって、高校に進学してからも、高梨先生と朝夕の通学路でお話しすることができました! 高1が終わるとともに、先生は(25歳)結婚なさって信州に行ってしまいました。】
 怖いもの知らずのぼくは、高1のほんの一時、さ迷って作曲や指揮のまねごとなどをしていました。後にストレートで芸大の楽理に入学するようなヤツと一緒に『指揮法入門』の勉強を始めたり、‥‥さいわい、同学年に実力の差を知らしめてくれるヤツが居てくれて、まもなくそうした迷妄から覚めましたが。

 こういうセンチメンタルな回顧だけではありません。むしろこの音楽室と松田屋での経験が、ぼくの 時代と音楽(文化)という感覚(sense & sensibility)を育んだ、といえる。バッハとモーツァルトでは時代が全然違う。ベートーヴェンから近代が始まる、というより彼は近代の前衛だった。シューベルト、シューマン、ブラームスにとってのベートーヴェンの遺産・重み・桎梏。ワーグナ、ドビュッシの新しさ。そして、ショスタコヴィッチの苦闘‥‥武満の響き‥‥
 こうした音楽経験があったからこそ、18世紀以来の時代性・その転換ということを、ブッキッシュでなく体感的にわかるんだ、というのは、後々に認識するところです。

 つまり今、西洋史学なるものを、なにか新刊本や新しい研究動向を引用しつつ営むのでなく、自分の経験として語れる、文献以外の経験も分析的に論じてゆくことができるということが、もしぼくの強みだとしたら、それは高梨先生の音楽室から始まったのです。
今日は、ここに書いたことのごく部分的な断片だけを申し上げたので、十分に分かっていただけたかどうか。心から感謝しております。
【とにかくレアな経験だったことは、あまり考えなくても、直観できることでした。近藤くんはブラームスだったネと、とくに親しかったわけでもない今井さんに言われて、そこまで皆さん、互いを知っていたんだ、とそうした点についても認識を新たにしました。Danke schön! 】

2018年4月24日火曜日

坂本龍一くんの父、坂本一亀


 今晩のNHK「ファミリー ヒストリー」には感涙しました。中国東北から生還した父上にとっては「余生」、としての戦後をどう生きたか。生前はまともに話すことはおろか、正視することもできなかったという息子、龍一が、仕事人間、「人を愛することも、愛されることも下手だった父」を追悼する、ということ自体がドラマティックな結びでした。ご本人も「やばいですね‥‥」と涙を拭いていました。

 とはいえ、ぼくの場合は、龍一くんよりもそのご両親、辣腕の父=一亀さんと美しい母=敬子さんの物語として(語られぬ部分にも)感極まるものがありました。ぼくは龍一くんが芸大に入学する前の夏、富士山麓の坂本家の別荘で数日間、一緒に生活していたのですよ。
1969年ですから、坂本くんは新宿高校(AFSの留学から帰ってきたばかり)の3年生、ぼくは東大の無期限ストライキ中。その前もその後も、生きる道の重ならないぼくと坂本くんが、なぜその夏に一緒に寝泊まりしていたかというと、68・9年という情況だったから、そして新宿高校3年生のK子さん、その姉のM子さんがそこにいたからです。M子さんは、ぼくとも、後年結婚する光明くんとも、中学・高校が一緒でした。ブログに書くより「小説」の材料になりそうなことが、その夏の富士山麓を舞台に、次々と展開しました。

 河出書房の黄金時代を支えた辣腕編集者として名の通った坂本一亀さん(1921-2002)は、三島由紀夫や野間宏や水上勉や丸谷才一もそうだけれど、それより、ぼくたちの世代にとっては高橋和巳(1931-71)の担当編集者として知られていて、どんな小さな逸話でも聞きたかった。そうした父上のこと、母上のこと、高校のこと、なぜかそのとき(お盆休みなので?)テレビでやっていたジェイムズ・ディーンの「エデンの東」、日の出の赤富士、「富士には月見草が似あう」という太宰の台詞‥‥。

 49年前の真夏を想い出し、また今は亡きご両親夫妻の老後の穏やかな様子を写真で見ることができて、この番組には心洗われました。【誤字を訂正し、ほんの少し言葉を補いました。指摘してくださった方、ありがとう!】

2018年4月23日月曜日

「られりろる」の入力

 先にも記した「られりろる」の入力というのは、こういう問題です。
一太郎ユーザは「ロンドン」とか「リスト」とかを入力する場合に、既成(デフォールト)モードでは rondonn とか risuto などと入力します。この(わざわざ L と R を間違って入力しなくちゃならない)ことで、不愉快極まる思いをしていませんか? 中学以来の L と R の区別、これがようやく苦労なくできるようになったあなたには、耐えがたい/屈辱的な感覚ですね。これを解決するには、
一太郎画面のテンプレートから
「ツール」 → 「オプション」 → 「入力モード設定」
とクリックして進むと、「ATOKプロパティ」という画面になります。
この画面で → 「キー・ローマ字・色」というタグをクリックすると
→ 「ATOK ローマ字カスタマイズ」
というぺージに入ります。ここで「設定一覧」をドンドン下へ行って、
下の写真の該当部分の「ローマ字」・「かな」の対応関係を変えればよいのです。
一太郎で悪さをしているのは L です。半死の L を本来の仕事をすべく、生き返らせましょう。
デフォールトの「設定一覧」で定められた
(la, le, li, lo, lu) → 小文字の(ぁ, ぇ, ぃ, ぉ, ぅ)
をば、
(la, le, li, lo, lu) → 通常の(ら, れ, り, ろ, る)
へと設定し直せば、すべて解決。
さらに、(lya, lye, lyi, lyo, lyu) → (ゃ, ぇ, ぃ, ょ, ゅ)をば、
(lya, lye, lyi, lyo, lyu) → (りゃ, りぇ, りぃ, りょ, りゅ)
へと設定すれば、明快になります。
かな小文字には l でなく x を添える方式がすでに設定されているので、問題は派生しません。

こうした結果、豊かで爽快な一太郎の沃野が拡がります。普通の単語登録に加えて、たとえば

 lo → ロンドン
 lago → ラテン語
 list → リスト
 ris → 立正大学

さらには『』(二重カギ)を出す煩わしさを解決し、また「し」 → 「史」への変換を一発で決めるために、
 riss → 『立正史学』
 s → 史

漢字変換・日本語作文で「一対一」対応の変換が効くというのは、爽やかで気持いいですよ!
もっと調子に乗って、「短縮読み」で
 141 → 東京都品川区大崎4-2-16
 iokou → 『イギリス史10講』
 iwanami → (岩波書店、)  この()と「、」のあるなしが書誌を記すとき、全然ちがってきます!
 kk → 近藤 和彦       わざと半角空けています!
 uk → 連合王国
 usa → アメリカ合衆国
 8c → 18世紀
 wp → ワープロ       
といった(それ以上、もっとすごい)快速のアクロバットもできます!

なお辞書登録にあたって、ワープロやメール、ローマといった、音引(ー)のためにブラインドタッチの両手の位置を浮遊させるのは、可能なかぎり避ける、というキーボード入力の鉄則も考慮しています。

こうして鍛えあげたATOKを使いこなすと、それ以外の日本語変換がバカみたいに見えてきます。振り返ると、ワープロ専用機「文豪」から、、ATOK、そして秀丸エディタの世界へと導いてくださったのは、1990年代の安成さん(と佐々木さん)でした。ご恩は忘れません。ありがとうございました。

2018年4月22日日曜日

Internet Explorer ではこのぺージは表示できません

 花も新緑もとてもテンポが早くて、味わう暇もない!

 31日に立正大学から French leave でも filer à l'anglaise でもなく、日本的に挨拶して辞去し、荷も撤収したのが11日(水)、大学院の最初の授業の日でした。そこまでは遅めながら何とか進んでいたのですが、じつは、その翌12日の午後に、なんと2009年からずっと付き合ってくれていた富士通の FMV D5270 ですが、その Internet Explorer がついに働かなくなったのです。
富士通の名誉のためにいえば、その本体は9年物で、老体ながらも、なお堅実に仕事をしています。東大生協で購入した2009年初から、比較的安くて問題のないデスクトップ・マシーンでした。 写真の右端、こんな環境で駆使していました。 

 PCに通じた方なら、たとえ IE がダメでも他のブラウザがあるではないか、とお思いでしょう。問題はそんなことではなく、Google Chrome については既に数ヶ月どころか1年以上前から作動しません。おそらく根本は OS なのです。購入したとき、本来は Windows Vista だったのですが、XP に慣れ親しんでいたし、そちらにダウングレイドして使うのが、当時の多くのハードユーザの嗜好で、ぼくもそうしました。
 では先年、MS がXPの更新を止めてからどうしていたのか?
慎重に手動で Microsoft Security Essentials の更新を続け、他のPC(いずれも Windows 10 です)と併用していました。そんな危ないことを‥‥という方が多いでしょうが、じつは(目を付けられていないかぎり)大丈夫。日本語のメールで正確な文章が必要なときには、こちらのXPで;大事な用件で間違いなくインターネット・アクセスしなくてはならない折には Windows 10 の端末で、といった二本立てでした。
それだけ FMV は BenQ の大きなモニタ、Sanwa のスリムで白いキーボードと相性がよく、なにより年季をかけて鍛え上げた一太郎および秀丸(いずれもATOKで動きます)が軽快に反応してくれました。もしや一太郎(ATOK)と相性が悪いのかもしれない? Windows 10 では、文章の作成中に苛つくこともありました。

 といった最近年の経過をへて、ついにインターネット接続を完全に拒否されたのが12日(木)。一日置いて再び試みても、事態は変わらず。
  Internet Explorer ではこのぺージは表示できません
というメッセージがでて止まります。
 とはいえ、これは想定内のことですから、Windows 10 のマシーンは2台(Surface Pro も含めれば、計3台)待機していました。

 早速に解決しなくてはならなかったのが、一太郎・秀丸(ATOK)と 10 のマシーンとの相性問題。これはそれぞれ最新の「一太郎 2018」および「秀丸 ver.8.79」に更新してみたら、あっけなく解決。例の「られりろる」の入力方式を修正したうえで、辞書を日夜きたえるという課題は残りますが、これは淡々と進めるしかありません。既存の「一太郎 創2011」からは自動的に資産継承してくれるようです。

 といったことで、また家庭の事情も加わり、この数日間、インフラ整備にテマヒマとられました。結局のところ、9年勤続の FMV D5270 は栄誉の現役退任ということで、これからは、オフラインの作文と HDDのデータ倉庫がお仕事ということになります。

2018年4月7日土曜日

ルイ14世の死


寒い年度末、暖かく、大谷翔平の活躍であけた新年度。日夜の経過がとても速い!
まだ引っ越しも完了せず、立正大学に段ボール箱が積み残しです。済みません!

そうしたなか、『図説 ルイ14世』(河出書房新社, 2018)の著者・佐々木真さんから映画「ルイ14世の死」の試写会招待をいただき、今日、ようやく日時を合わせることができ、京橋の試写会場に参りました。

アルベルト・セラ監督、ジャン=ピエール・レオ主演、2016年の作品。5月に全国公開とのことです。

1715年夏の終わり、ほんの3週間あまりの病床の「太陽王」を描きます。カメラは(冒頭以外は)寝室から出ることなく、「一般受けはしない」映画かもしれない。
しかし、フランス史ないし近世ヨーロッパに関心のある人、それから近親に長患いの人、老衰した人を抱えている場合、愛する人が日にちをかけて亡くなった場合には、この「陳腐な死」を2時間かけて描く作品は、ジンとくるかと思いました。
ゆったり進行し、マントノン夫人をはじめ、人々は静かに理性的で、謀略らしき臭いもなく、感情的に盛り上がるのは、最後に近く、モーツァルトの「ハ短調ミサ曲」が歌い上げる部分だけ。淡々と、外界の鳥のさえずりが強調された音響世界で、これは、かなり勇気のある作品だと思いました。
(ハリウッド/ボリウッドでは不可能!)

帰宅してあらためて、佐々木さんの『図説 ルイ14世』を見かえしました。
このシリーズ、絵がたっぷりですが、細部にも十分に心遣いした本になっています。
同時に、イギリス史にかかわる部分は、従来の概説・通史がそうだからなのですが、ちょっとだけ問題が残ります。ここでは1点だけ。

p.48 図版キャプションとしてチャールズ2世について
「王政復古後には親カトリック政策を採ったこともあり、ルイ14世とは良好な関係を保った。」
→ これは、むしろ逆です。「親カトリック政策を採った」からではなく、
そもそも「親フランス政策を採った」から親カトリックとなる場合もあったが、本質的にイングランド国教会の立場(via media)です。『イギリス史10講』pp.135-9.
国教会路線のことを親カトリックと攻撃するのは、17世紀ピューリタンから20世紀日本の無教会派プロテスタントまで継承された偏見で、こうした原理主義の史観は、害のみあって益はない。

いずれにしても、「偉大な世紀」の太陽王、「国家とは朕のことなり」のルイ14世はただのフランス王=ナヴァル王だっただけでなく、ヨーロッパ1の君主でした。イギリス王家にとって、(イトコである)彼と同盟していれば安心だが、1688-9年の名誉革命のように彼を敵にまわす選択は、ほとんど生死をわける決断でした。単独ではなく、フランスを追われたユグノー=ディアスポラ、そしてオランダ連邦との同盟関係があったから、(plus 神の加護があったから!)なんとか生き延びた。そして、議会主導の「軍事財政国家」として国債、イングランド銀行、政党政治でもって、延命の「第二次百年戦争」に突入するわけです。

1714-15年のジャコバイト危機について、こうした国際舞台でしっかり論じてみたいですね。ワイン、酒造もこの wine geese の文脈に入ってきます。

2018年3月26日月曜日

満開の夜桜

あっという間にソメイヨシノも満開ですね。
千鳥ヶ淵とか大横川といった名所もありますが、ごく近所でもライトアップすると、こんなに、きれい。上に小さく見えるのは半ばの月です。

2018年3月22日木曜日

梅・桃・桜


桜の開花宣言のあとの寒い日々。今日からふたたび青空と暖気が戻りました。ぼくも睡眠負債の結果としての風邪から、ようやく回復途上です。
2月から慌ただしくしているうちに、いつのまにか3種の花がそれぞれのサイクルを見せています。
梅はもう散りどき。

桃は満開。

桜もソメイヨシノは一分咲きから勢いをつけて週末には満開でしょうか。

それぞれ近隣、そしてよく寄る道端で撮りました。

2018年3月14日水曜日

長崎にて

 長崎に参りました。
 世の中の転変からはちょっと距離を保って、歴史的な主権について討論し、新しい知識を得て、また「うまかもん」に感激する2日間。先週9・10・11日の東京における John と Michael のセミナーから連続していますので、疲労感とともに、満足感も。
 着いた日のランチは「長大」食堂でちゃんぽん、夜は五島列島の料理尽くし、今日昼は「一人前」の茶碗蒸し、今夕は波止場で中華料理。
 残念ながらぼくの場合は観光するヒマはゼロです。

2018年3月3日土曜日

ウィンストン・チャーチル

 原題は Darkest Hour. 1940年5月の政治的決断がテーマの映画。
 試写会の案内はすでに暮からいただいていました。しかし、大学の仕事や執筆や公務などで時間は自由にならず、ようやく今週の月曜に身を空けて半蔵門・麹町に駆け付けたところ、なんと「30分前からすでに満員でお断りしています」! 
あとは1日のみ、1時間前には来てください、と。トホホ。

 アカデミー賞候補というので前人気が高まっているとか。
パンフレットには木畑洋一さんが Essay を寄稿していて、「首相としての足場が定まらない時期のチャーチルを、エキセントリックといってよいその人物像を効果的に示しつつ、見事に描き出した」と評しておられます。

2018年3月2日金曜日

3月の研究集会

2月はアッと言うまに逃げ去り、すでに3月です!
ぼくにとって最後の大学勤めなのですが、同時に学問的にもたいへん有意義な催しが続きます。

すでにずいぶん前から準備されていましたが、この3月にイギリスからジョン・モリル(ケンブリッジ大学名誉教授)と一緒にマイケル・ブラディック(シェフィールド大学教授)が来日して、連続セミナーが開催されるのです。東京では、3月9日(金)に東京大学、10日(土)・11日(日)に東洋大学です。それぞれのオーガナイザからの案内を以下に転載します。

この3つのセミナーは事前登録不要ですが、【2】【3】の懇親会参加をご希望の方は、会場手配の都合上、下記までご一報ください、とのことです。
 東洋大学人間科学総合研究所(渡辺) [a]は半角@に換えてください。
ご関心のありそうな方に本案内を転送してよいとのことです。

------------------------------------------------------------
J・モリル/M・ブラディック氏 来日セミナー

【1】 3/9(金)18:30~20:30
東京大学(本郷)小島ホール1階 第2セミナー室
  Prof. John Morrill (with Prof. Michael Braddick), "How to spend a lifetime living with early modern Reformations and Revolutions"
https://politicaleconomyseminar.wordpress.com/ (近日更新予定)
※ポリティカル・エコノミー研究会(PoETS)主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【2】3/10(土)13:30~18:00
東洋大学(白山)10号館A301教室
<「民」と革命--17世紀イギリス史再考・2>
  Prof. John Morrill, "The Peoples' Revolution: Civil Wars within and between three kingdoms and four peoples 1638-1660"
  Prof. Michael Braddick, "The people in the English Revolution"
  コメント:山本浩司(東京大学), "The English Revolution and the politics of stereotyping"
※科研基盤A(大阪大学)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【3】3/11(日)11:00~16:00(13:00~14:00は昼食・懇親会)
東洋大学(白山)10号館3階A301教室
<社会史再考・2>
 Prof. John Morrill, "Revisionism and the New Social History"
 Prof. Michael Braddick, "Politics, language and social relations in early modern England"
 コメント:辻本諭(岐阜大学)
※井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」主催

更新情報は、以下のサイトに随時掲示します。
 https://www.toyo.ac.jp/site/ihs/
 https://www.facebook.com/toyo.ihs/
------------------------------------------------------------

2018年2月26日月曜日

教師 冥利

 寒い夕に3年生ゼミの惜別会がイタリアン食堂で催されました。
両手に余る贈り物をいただいてしまいましたが、なによりも「先生のもとで卒業論文を書きたかった!」という言、そして ← こんな肖像イラストには驚き、嬉しく、感極まりました。みなさん、ありがとう!

2018年2月6日火曜日

みすず〈2017年読書アンケート〉

みすず』1・2月号(no.667)が到来したのは、先週末のこと。
例年のことながら、見始めると止まりません。立ったまま、あれこれ前後をひっくり返しながら読み耽って、就寝時間はますます遅くなる。
 かくして、いつも期して待つ〈読書アンケート〉特集号ですが、その唯一の欠点は、索引がないので、あ、この本、だれかも言及していた! といってそれを探し当てるのが大変。探してアチコチしているうちに、また別の本が目に入って、そちらに気が移り‥‥、といったことで、際限がないのです。
 そんなこと! 編集者の立場にたてば、年末の〆切日を無視して、年始の@日にもなって一太郎でデータを送りつける先生方(!)に対応するのを優先するなら、索引どころか、執筆者順をあいうえお順やABC順に整えることさえ不可能です。去年はビリから29番、今年もビリから16番の近藤の言う台詞ではありませんでした!
 新顔として、ブレイディみかこさん、草光俊雄さんの新規参加に気付きました。逆に常連のうち、ノーマ・フィールドさん、喜安朗さんの名が今年は見えなかった。

 それで、ぼくが〈2017年読書アンケート〉として挙げた書目を列挙しますと:
1. Koenigsberger, Mosse & Bowler, Europe in the Sixteenth Century, 2nd ed., 1989
2. Friedeburg & Morrill (eds), Monarchy Transformed: Princes & their Elites in Early Modern Western Europe, 2017
3. 池田嘉郎『ロシア革命 - 破局の8か月』2017
石井規衛『文明としてのソ連 - 初期現代の終焉』1995
4. 鈴木博之『建築 未来への遺産』2017
5. 松浦晋也『母さん、ごめん。- 50代独身男の介護奮闘記』2017
内実については、『みすず』本誌をご覧ください。

旧アンケートについては ↓ など。
http://kondohistorian.blogspot.jp/p/201516-413

2018年1月31日水曜日

bloody moon

ほんとに血のような(汚れた!)満月で、これを目撃したことは幸せというより、なにか不吉な予兆ともとれます。
ほんの10分ほど前に我が家のベランダから撮ったショットです。
満月で隠れていた星々もいくつか姿を現しました。