2010年9月23日木曜日

Salzburg-Wien-Praha

この9月には(も)いろんなことが続いたので、Catholic Europe の大旅行が大過去のことになってしまいそうですが、そうしないために--


 【写真をクリックしてくださいな 】ザルツブルク(イギリス人にいわせればサルツバーグ)では「フニクラ」(!)で城に上ったらそれまで雨模様の空が晴れて、はるかにアルプスの氷河が望めました。モーツァルトの場合は、これをみて旅心を誘われたでしょう。氷河も向こうにはイタリア。「この街を出よう、大司教のもとから離れよう」と決めたときにも、やはりこの風景を見つめていたのか‥‥それは知りません。

 ウィーンは大都会なので、もっとゆっくりしないと見尽くせないな、と思いながら、それにしても美術史博物館はハプスブルク家の威信をかけた、圧倒的な知と美の殿堂。

ここで画学生(?) が模写しているのは、ブリューゲルの「謝肉祭と大斎節との争い」(『民のモラル』pp.230-1)でした。ぼくも絵心があるなら、1週間くらいかけて模写したいくらい不思議な迫力にみちた、構成的な絵です。
 木曜夜は9時まで開館ということで、館内のすばらしいホールでディナーをいただきました。

 プラハ城では 1618年、窓外放擲事件の現場をみて満足し、城の敷地内に、別料金で入る Lobkowicz Palace についてはパスしようかな、と思いながら下のカフェに入ってビールを飲みました。そこで思いがけず一つのビラを目にすることがなかったら、Lobkowicz に入ってカナレットの「ロンドン市長就任式の水上パレード(テムズから望む聖ポール)」に遭遇することはなかったでしょう。これは『江戸とロンドン』p.230の原画です。


これを contingency というのか、天の配剤(oeconomy)というのか。思ってたより、ずっと大きな絵。

 そもそもジェイムズ6世=1世の姫エリザベスは、ファルツ選帝侯フリードリヒに嫁するんだから、ブリテン内戦(イギリス革命)・ヨーロッパ大戦(30年戦争)の観点からも、この辺はきちんと観察しておかねばならないことでした。反省。

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