2016年4月5日火曜日

安丸良夫さん(1934-2016)

 新聞を見て驚きました。安丸さんが亡くなったとのこと。
 一昨年の喜安朗さんをかこむ『転成する歴史家たちの軌跡』(せりか書房)をめぐる研究会@東洋大でも、呼吸器の手術にもかかわらず積極的に発言なさり、後に続く者を激励する風がありました。今回は交通事故に遭われ、治療の甲斐なく、とのことです。喪失感はこの上ありません。

 安丸さんとのお付き合いは長く、東大の助手のとき(1975)、西洋史の学生たちと読書会を続けていましたが、出たばかりの『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、1974)を読んで感銘して、もしや著者に来てもらってお話を聞けるだろうか、となりました。面識も何もないのに、ぼくが一橋大学御中 安丸良夫先生あてで伺いの手紙を書いてみたら、簡単に快諾のご返事が来て、うれしかった。
本郷の西洋史の奥の(今では談話室と呼んでいる)部屋でインタヴュー的な討論の会が実現しました(お礼は無しでした!)。その折の学部生は小林・皆川・石橋・西浜といった連中で、その後みんな高校教師になりました。その読書会は続いて、なんと Richard Cobb, The Police and the People に読み進んだのです!
 77年には岩波書店で開かれた「社会史の会」でご一緒しました。そこでぼくが調子こいて、すべて独創的な歴史家の血液型はBであるか、Bの因子が入っている。それが証拠に柴田三千雄、阿部謹也、二宮宏之、石井進、安丸良夫、‥‥がB型で(近藤も末席を汚していて)、ほかに ダレソレ がAB型だ、などと述べて、A型の遅塚忠躬さんから戯れが過ぎると叱られました【その後、遅塚さんは Annales 誌の血液型論文のコピーを送ってくださり、しっかり研究史をふまえて議論するよう、ご注意をいただきました!】。
その前後に早稲田の文学部で開かれた歴研の部会(?)は日本史主体でしたが、なぜかぼくも呼ばれて「安丸の西洋史版」みたいな扱いを受けているのが嬉しかった(まだ20代の最後で、名古屋まで通勤しました)。
 『民のモラル』(1993)が出た直後に外語大で催された合評会みたいな尋問の会みたいな所にも、安丸さんは山之内さんや二宮さんとご一緒に出席なさっていました。だものですから、『イギリス史10講』(2013)をお贈りした後、日をおかずにいただいたお手紙を読んで、嬉しいと同時にすこし考えこみました。

 「‥‥高度に洗練された知的な叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びついて、すっかり感心してしまいました。短い表現にも多くの省察がふまえられていて、御苦心のあとを偲ぶことができたように思います。
‥‥近藤さん御自身としては『民のモラル』あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけなのでしょう。9.11、3.11などのあとで、歴史研究の新しい方向を模索しようとするとき、玉著の意義を反芻することができるかと思いました。‥‥」

 こういった感想はぼくの学生時代を知らない方々には少なくないのかもしれません。駒場における学問の最初はマルクスとヴェーバー(世良晃志郎訳)でしたから、本郷に進学して、堀米先生や成瀬先生の国制史・国家構造史はすんなりと頭に入りました。民衆史はむしろその後、柴田先生の影響で、ジャコバン権力と相対するサンキュロットという位置づけで加わった新展開です。70年代には世界的な研究史展開と同期して、そちら(民衆の生活・文化・運動)のほうが exciting で面白くなりました。安丸さんのお仕事のうち、百姓の世界、出口なおの宇宙についても具体的にぼくの視界を広げていただき、感謝していますが、むしろその後の『近代天皇像の形成』や〈日本近代思想大系〉などのほうが「これからの方向」を示しているような気がしてインパクトがありました。

 まだまだこれからこちらの書き物をご覧に入れて、お話もできると期していましたのに、残念ですし、無念です。
 ご冥福を祈ります。

0 件のコメント: