2015年10月20日火曜日

クレオパトラの鼻

 パスカル『パンセ』の3巻本。塩川徹也さんの新訳により、岩波文庫から刊行中

 上巻には「人間は一本の葦にすぎない。‥‥しかし、それは考える葦(roseau pensant)だ」【断章200番:p.257】がありましたが、今月刊の中巻には、いよいよ例のクレオパトラの鼻の想定があります。「もしクレオパトラの鼻がいま少し低かったら‥‥」という有名な断章ですが、前々から2つほど疑問でした。
1) 原文は Le nez de Cléopâtre, s'il eût été plus court, toute la face de la terre aurait changé.
なのになぜ、普通の日本語訳では「もし」から説きおこすんだろう。そういえばルイ14世の科白とされる L'état, c'est moi.
についても「朕は国家なり」と語順を前後して訳す習慣ですが、なぜ? ささやかながらぼく自身が言及するときは「国家とは、朕のことなり」と訳してきました。
2) もう一つの疑問は、フランス語の plus court とは英語の shorter に当たりますが、これを「いま少し低い」と訳すのか。ちょっと(日本人のコンプレックスの反映した?)意訳だな、という感想でした。

 で、期待をこめて塩川訳『パンセ』断章413番を捜すと(そもそも恋愛論ですね):
 人間のむなしさを十分に知りたければ、恋愛の原因と結果を考察するだけでよい。その原因は「私には分からない何か」なのに、その結果は恐るべきものだ。この「私には分からない何か」‥‥が、あまねく大地を、王公を、軍隊を、全世界を揺り動かす。
クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し小ぶりだったら、地球の表情は一変していたことだろう
。【中巻、pp.43-44】

 上の 1) について言えば、語順をフランス語の出てくるまま順当に「クレオパトラの鼻」マルと、まず言い切ってしまう。じつは似た断章がすでに出ていました【上巻、p.238】。
 人間のむなしさを示すには、恋愛の原因と結果がどんなものであるかを考察するのにまさるものはない。なぜなら恋愛によって全世界が変化するからだ。クレオパトラの鼻。

この断章を丁寧に補って、クレオパトラの鼻を例に想定しての推論だとしっかり確認したうえで、もしそれがもう少し‥‥だったら、という非現実の仮定による counterfactual な議論に進むのですね。 ということは、同様に「国家と言えば、それは朕のことなり」という訳でよろしい、という免許をいただいたような気分!

 そこで 2) について見ると、「もう少し小ぶりだったら」ですか! ギリシア鼻か、ラテン鼻か、高いか低いか、長いか短いか、といったよく分からない論議をするよりは、court というフランス語には英語の short と同じく、「なにかが足りない」「不十分だ」という意味もあるので、そちらに寄せて「小ぶり」と言ってみたわけですね。
 そもそもパスカル先生は、「私には分からない何か」が、あまねく大地を、‥‥全世界を揺り動かすと言ったうえで、パラフレーズして「私には分からないエジプト女王の顔の真ん中の魅力」が大地を、カエサルを、ローマを、世界史を揺り動かした[ここまでは過去の事実]。もし、その女王の顔の真ん中の魅力になにか足りないものがあったなら[counterfactual]、カエサルもローマも揺るがず、プトレマイオス朝の運命も違っていただろうし、地球の全表情(toute la face de la terre)は一変していたでしょう、と言い切るわけです。
 すごいですね。【地中海の覇権のゆくえくらいで、「地球の全表情」なんて言わないでよ、とアジア人なら言いたくなります!】

2 件のコメント:

Yoshiro さんのコメント...

プレハーノフが『歴史における個人の役割』でこの話を受けてクレオパトラの鼻について書いていますが、ロシア語をいま見てみたところ、たしかに高い低いではなくshorterに相当する言葉を用いていました。勉強になりました。ありがとうございます。

近藤 さんのコメント...

夏目漱石は近代日本の諸問題を早々と議論していますが、すでに『我が輩は猫である』で、こんなやりとりをしたためていた! 
「パスカルがこんな事を言っている」
「どんな事を」
「もしクレオパトラの鼻が少し短かかったならば、世界の表面に大変化を来たしたろうと」

これはもしや英訳に依拠しつつ書いたのかもしれないけれど、それにしても(非現実の)shorter という仮定をそのまま訳していたのですね。