2015年10月18日日曜日

文学部がひらく新しい知

 東京大学文学部にて、ホームカミングデイの催し
「文学部がひらく新しい知」という集会があるというので、行って参りました。
と言うより、むしろ、他ならぬ熊野純彦学部長・研究科長が
時空の近代、人文知の時空--あるいは国家と資本と文化について
という60分の基調報告をなさり、これに橋場弦、齋藤希史、唐沢かおり、といった論客が応じるプログラム。そうと知ってしまうと、行かずんばならず。勤務先には多少の無理を承知していただき、土曜の午後の本郷に参りました。
http://www.todai-alumni.jp/hcd2015/2015/08/post-d583.html
 「入場無料、定員200名(先着順)」
というので、まさか「満員御礼」、ご免なさい、となってはいかんと早めに一番大教室に着席しました。年齢層からいうと、ぼくくらい(ないしずっと年長)+20代くらいの学生たち、が聴衆のほとんどでした。

 仏文の野崎歓さんの当意即妙な司会により進行。直接的には、文部科学省が国立大学の「‥‥教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については‥‥組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めること」とした「見直し」にたいする否定的直観から出発した、熊野研究科長の哲学・倫理学の講話でした。和辻哲郎とハイデガー、そしてマルクス、ヨアヒム・リッター、バターフィールドが引用されました。
 熊野さんによれば、現在の文科省と国立大学法人で進行中の事態は、近代に確立した人文知の生産・再生産の「外部化」という位置づけです。ただし、これが≒民営化なのか、どなたかが言い換えられた「アウトソーシング」なのか、ちょっと分からないところが残りました。
 ぼくのような世代ですと、1970年代・80年代の国立大学の貧困と自由な時間(そこに民青的平等主義+物取り主義が貼り付いていました)は、94年以降の活性化と忙しさに比べて、ぬるま湯的であったが、けっして良くはなかった。90年代の変化は、大学院生への学振特別研究員制度、科研費による海外渡航の自由、といった明らかな改善が伴っていました。ただし、94年前後の大学院重点化にともなう制度いじりについては、何が良かったのか、ぼくには分かりません。

 3人のコメントは、それぞれの背景がちがうので、発言のトーンも違いましたが、ぼく個人としては、人文学および東京大学の特権性、あるいは野党性に居直るよりは、唐沢さんの「うちらこそメインストリーム」という矜持、齋藤さんのどこまでも交通と通信(マルクスなら Verkehr)を続けるという姿勢が望ましいと思います。
 そもそも国家の営みから「外部化」されたからといって、即、資本の市場に放り出されることを意味するのでしょうか。そこには「市民社会」「公共圏」「民間公共社会」などと呼ばれる領域、人文社会系の学問がさんざ論議してきた問題があります。ぼくたちの世代が平田清明を夢中に読んでいた、その直後にハーバマスが登場して、のたまうことには、公共圏と(広義の)営利活動は無縁ではない。金もうけやスキャンダルのニュースと、権力批判や繊細な文芸は表裏一体で新聞雑誌を発展させた、と。今日ではアソシエーション/チャリティ/NPO/メセナなどの語で言われる活動もあります*。
 論文の仕上げと競争的資金をゲットするための作文が重なって徹夜したり、寝不足のままアウトリーチ活動に出かけたり、といったことも若い時期にはあっても悪くはない。それにしても今日のディスカッションの教訓は、時には落ち着いて、自分の学問なるものが世のため人のためになっているか再考しよう;国民の血税から給料をもらっていることにどう申し開きをするのか(accountableなのか)沈思黙考してみよう;ということではないでしょうか。
 高踏的であるのは、どこか狂っている、健全ではない、と思います。

* J. ブルーア『スキャンダルと公共圏』(山川出版社、2006);近藤「チャリティとは慈善か」『年報 都市史研究』15(山川出版社、2007)

0 件のコメント: