2021年5月18日火曜日

〈主権〉概念の批判的再構築 ‥‥

16日(日)15:20~18:30の日本西洋史学会大会・小シンポジウム「礫岩のような国家にみる〈主権〉概念の批判的再構築」ですが、Webinarの裏方も含めると200名を越える参加者(視聴者)があったようです。全参加者名はリアルタイムでは分かりませんでしたが、Google Form で寄せられた質疑で多くの既知の方々の発言を正確に読むことができました。かなり水準の高い学会シンポジウムになったという感想をもっています。【その後、主要参加者名は、発言しなかった方も含めて、知ることができました。】
→ http://seiyoushigakkai.org/2021/convention/

ぼくの場合は技術的に支障があり、机上に2台目のPC(タブレット)は開けていましたが、そこから(せっかく司会が用意してくれていた)裏方連絡網に入ることができず、司会と質疑スプレッドシートと Webinarのchat だけによって「舞台」の進行についてゆく、という事態となりました。(途中から)時間制限についてあまり気にしなくて宜しいという司会の連絡があったのは知らぬまま、また焦って事前の想定からやや外れたナーヴァスな発言をしたかもしれません。

18:30から Zoom Meeting に移ってからは、参加者の名前もお顔も見えて、二次会的なムードになりましたね。パネラー以外の学識が開陳される好機となりました。

それにしても、15:20~19:45の長時間にわたって、大事な論点がたくさん出て/飛び交い、それを多くの研究者と同時にシェアしたわけです。研究史的に意義あるシンポジウム(& post-session)だったと総括できるのではないでしょうか。

Google Form に記入していただいた質疑・発言は(これがディジタルの利点ですが)すべてしっかり保存され、パネラー全員が共有できるようになっています。

とはいえ、たとえば1977年・東北大学における西洋史学会大会シンポジウムもそれだけで終わらず、2年後に『近代国家形成の諸問題』として公刊されたからこそ、(各報告の深い学識と、今となっては批判されるべき点の充溢する)研究史に残る有意義な研究集会だったと言えるわけですね。今後が大事だと思います。

ご協力、ありがとうございました。個人的にはITの習熟がなお残る課題です。今後ともよろしく。

2021年5月14日金曜日

日本西洋史学会大会(土・日)の報告レジュメ

5月15日(土)16日(日)の日本西洋史学会大会は、関係者の尽力で、準備万端ととのってきたようです。全体の招待講演が後藤春美さん(東大)と石坂尚武さん(同志社大)。いろんなシンポジウムも並んで、楽しみにしています。
http://www.seiyoushigakkai.org/2021/index.html
とはいえ、Zoom だ Webinar だと言われてもちょっと‥‥という人も少なくなく、ぼくの知る退職世代ですと、若干の努力と試行錯誤のあと、「もぅいい」と止めてしまう人もあり、残念です。
かくいうぼく自身、小シンポジウム【礫岩のような国家にみる「主権」理解の批判的再構築】
http://www.seiyoushigakkai.org/2021/symposia.html
でコメンテータをつとめます。そして4月末日には(大会報告要旨集とは別の)配布レジュメ(A4・3ぺージ)を送達したつもりだったのですが、学会ウェブぺージからは行き着くことができず、登載は未だなのかと勝手に納得して放置していました。とはいえ、今日(木)になっても見えないのはおかしいと、ついに代表者=ITエキスパート氏に質問。

その返答にて問題は一挙に解決しましたので、そのエッセンスを次に引用します。

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Q. ところで、先日から大会のサイトで捜しているのですが、すでに2週前に提出した(事前配布の)各報告レジュメはどこに収められているのでしょうか。

A. レジュメへのたどり着き方、確かにわかりにくくなっています。最初わかりませんでしたが、すでに先週の金曜日から公開されています。以下にたどり方を記します。

http://seiyoushigakkai.org/2021/convention/ 
 にはいってください。この頁に入るには大会登録者のパスワードなどが必要です。
② 16日の「15:20~18:20 小シンポジウム」という行までスクロールしてください。
 「15:20~18:20 小シンポジウム」の右隣に小さな小さなGoogle Drive(△)とOne Drive(雲)のアイコンが二つならんでいます。このいずれかをクリックしてください。
③ たとえばGoogle Driveのアイコンをクリックすると、「小シンポジウム」のフォルダに飛びます。そこの3番目のフォルダに、皆様のレジュメ(PDF)が並んでおります。

これをダウンロードする、という次第です。

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というわけで、ぼくの場合は解決しました。しかし、こうしたエキスパート氏がいない小シンポ・グループやそもそも一般参加者(視聴者)は、いったい、どうするんでしょう? そうでなくとも多忙な大会準備委員会を質問攻めに?
あるいは、焦っていろいろ試みたあげく、時間切れであきらめ、挫折感とともに(自分およびITにたいする)憤りにちかいものを覚える‥‥
そもそも Covid-19 の長期化とともに憂鬱が昂じているのに、さらに心の健康に悪いことが加わる‥‥
そうしたことを回避して、爽快な5月の学会を楽しむためにも、上記の交信が少しでもお役にも立つなら、幸せです。

それではみなさま、16日(日)に! この日は二宮宏之さんのお誕生日でもあります。

2021年4月16日金曜日

立正大学のR

 水曜には大崎の立正大学まで授業に行って参りました。教室で授業をするのはじつに2020年1月から15ヵ月ぶり! 大学事務に顔を出すのは、20年3月の年度末処理以来でした。 学生もそれなりに居ますが、しかし Covid前に比べると、やはり空いています。
 峰原坂の正門から入ると変化に気付きませんが、6号館食堂・図書館の脇から山手通りの通用口へ下ると、2019年以来の大工事がすべて完了して、きれいになっています! 11号館と新13号館を合体させて一つの建物であるかのように見せているのですね。

 左隣は大崎警察署。あいにくの天気でしたが、違和感のない連続性が示されています。
大学のロゴもいつのまにか「緑のR」から「青のRデザイン」に替わりました(校舎の左壁、そして1階の中ほど)!

2021年4月6日火曜日

山陽路

昔むかし、学齢前に住んでいた松山から、母の実家・広島県の(今は尾道市に合併した)向島に行くには、瀬戸内の今治=尾道間の連絡船で、しまなみの大きな島小さな島の間を抜けながら、次々に変わる景色のなかを船に揺られました。
その後、住居が京都、千葉に移ってからは、母とともに山陽本線で神戸から須磨の浦、舞子の浜の美しい松林を眺め、姫路の次「相生」から岡山平野へ抜けるまでの山あいの蛇行する鉄路は、機関車がナンダ坂コンナ坂‥‥とあえぎながら上るのですが、この光景は小学生には忘れられないものでした。そして岡山、福山を過ぎて、しばらく海が見えなくなったあと、「松永」から左にカーヴして、まもなく家並みの合間に、尾道水道の海面と造船所のクレーンなどが目に入ってくる。
   海が見えた、海が見える。
   五年振りに見る尾道の海はなつかしい。
   汽車が尾道の海にさしかかると
   煤けた小さい町の屋根が
   提灯のように拡がってくる。
   赤い千光寺の塔が見える。
   山は爽やかな若葉だ。
   緑色の海の向こうに[向島の]
   ドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。
   私は涙があふれていた。
といった林芙美子の文章を染めた(観光用の)手拭いを、千葉に住む母は部屋にずうっと飾っていました。林芙美子は、母と同じ「尾道高女」の卒業なのです。いまは無人の家に、まだ垂れ飾ったまま。母ほどではないが、ぼくにとってもささやかな原風景のひとつです【新幹線の「新尾道」経由だと、この感動は味わえません。福山で在来線に乗り換えるにかぎります】。
この向島にいま二人の叔父が90歳を過ぎて在住です。

その尾道からさらに西へ行った隣町、三原市では   〈古民家しみず〉再生プロジェクト  というのが始まったということです。叔父が『中國新聞』の切り抜きを送ってくれました。
  → http://www.kominkashimizu.net/
 「西国街道の古民家を 民泊&土蔵ギャラリー&カフェ として再生し 地域に活気を取り戻す!」という謳い文句で、古民家カフェがこの春から始まるのです。
まもなくパンデミックが収まって、ご無沙汰の二人の叔父に会い、この古民家カフェにも訪ねて行けますように。

2021年3月31日水曜日

はないかだ

 今春は花も若葉も早く、すでにソメイヨシノの盛りは過ぎました。
 この間ゆったりと花見をする心境ではなく、ようやく今日お昼に行ってみた大横川では、花筏(はないかだ)状態でした。

2021年3月20日土曜日

大横川の春

 すでに、ご無沙汰一ヶ月以上になりますか。
 パンデミックも日本政治も、世界政治も、気の滅入る現状。それに花粉症が加わって、じつに憂鬱。‥‥とはいえ、なにもせず内向しているわけではなく、いくつかの有意義な仕事を続けてはいます。これについては、もうすこし具体化してからお伝えします。

 今日は桜の開花宣言はあっても、まだまだ

  楽しさも中くらいなり 大横川の春

ということで、川面の光景をご覧に入れます(最寄り駅は門前仲町です)。

2021年2月11日木曜日

長老支配  gerontocracy!

東大駒場に入学して、おもしろいと思った授業がいくつもあったうち、京極純一先生の「政治学」はまた特段でした。定員700か800くらいの大教室で、最前列の2・3列は席取りが激しく、真ん中あたりでも、早めに行かないと席がなくなる。立ち見の学生もいるし、後方には双眼鏡をもって板書を写すヤツさえいる、といった授業。法学部進学者には必修だったからだけでなく、とにかく面白かったのです。
 「ふかいことをおもしろく、
  おもしろいことをまじめに、
  まじめなことをゆかいに」
井上ひさしより前から、こういう講義を心がけておられたのか。

あの三木清か藤田嗣治みたいな眼鏡をかけて、老先生のような雰囲気だったけれど - 1924年生まれということは、まだあのころ御年42歳だったのか!-、「わたしは保守主義だ」とのたまいながら、飄々と政治現象を分析なさる。のちに『日本の政治』(東京大学出版会)になる前の原型だったのかもしれません。

その京極先生の講義で、大学1年になったばかりのぼくは、Gerontocracy と板書された英語をみて、知らないだけでなく、意味を想像することさえできない英単語がある、という衝撃を受けたのでした!

Geronto- とは老人、年寄りという意味。-cracy とは権力、支配をいう(ギリシア語から来ている)。政界の長老の意向で国政がうごくとか、会社でも先代の社長が方針を決める場合がそうですね。「伝統主義」と同じことになる場合もあるが、なにより年季の入った者がそれゆえに力をもって、他の人は異論を言えない場合が、この老人支配です。年齢自体より、年季ゆえの権力関係‥‥。 とかいった説明を受けて、もぅ忘れられない。講義の上手な方でした。

今回のオリパラ組織委・森喜郎会長の「不注意」放言と、それを厳しく批判できない自民党。なにより「なにがいけないんだ」と言い出しそうな二階幹事長。これこそ gerontocracy の見本です。
十代で男女共学を経験していない世代は、じつはぼくの母親たちも含めて男尊女卑だった/あるいはそうした価値観に順応しないと生き苦しかった。森、二階ばかりでなく、彼らに直言できない橋本聖子オリパラ担当大臣も、自由に発言できないなら、降板する好機ではないかな。
現在のオリンピックの理念は、美しいナニカではなく、IOCバッハ会長の姿勢に現れているように、あくまで国際スポーツ興行の金もうけ主義だと思います。だからこそ、協賛企業の意向(スポンサーから降りるかどうか)を気かけているわけ。ここはガラパゴス・差別文化をニヤニヤと/苦笑いでやり過ごすのでなく、好機ととらえて、スッキリしましょう。

じつは靖国合祀問題も同じですね。

2021年2月10日水曜日

むずかしい → やさしい → 深くおもしろい → 愉快な瞬間

なぜか文藝春秋およびNHKで半藤一利の遺文が話題になっています。そのこと自体は良いことで、異論はありません。しかしその新刊本を紹介するところで

むずかしいことをやさしく、
 やさしいことをふかく、
 ふかいことをおもしろく、
 おもしろいことをまじめに、
 まじめなことをゆかいに、
 そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

という名文の引用源はいろいろある、というのは怪しからんのではありませんか? ましてや、ここで永六輔の2014年の本がしゃしゃり出てくるのはおかしい。

国会図書館の「レファレンス事例詳細」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000158633
にありますとおり、井上ひさし・劇団こまつ座ですよ!
こまつ座の『the座』14号(1989年9月)pp.16-17 で言及され、井上家の机の前にこの一文が吊されていたということです。 これだけ「やさしく」「ふかく」「ゆかいに」真理を言い当てている名文です。敬意をもって接したい。

とはいえ、少々の物書き経験者として申しますと、最初から「むずかしいことをやさしく」というのは、そもそも不可能に近い。
「むずかしいと見えること」をためつすがめつ、寝ても覚めても考え通すことによって、ある日アルキメデスのように、「分かった! エウレーカ!」とひらめく。
そうした寝ても覚めても、風呂に入っても、の日夜をへて、ある時、ようやく啓示のように、やさしく、深く、おもしろいことがやって来る愉快な瞬間に恵まれるんだな。

2021年2月2日火曜日

きさらぎの小春日和

「如月小春」という知的できれいな演劇人がいました。書評でも活躍していた。惜しくも20年前に立教大学の教室で、くも膜下出血のため亡くなりました。

今日はその名を想い起こすほど穏やかな日。運河の鵜3羽と鴎2羽が(争うことなく)日なたで昼休み中です。

2021年1月23日土曜日

罰金と過料のちがい?

ご存知でしたか? 「過料」と「科料」と「罰金」のちがい!

いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。

現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。

罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。

科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。

過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。

つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。

ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。

歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)

ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。

いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。

ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても  「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html

2021年1月21日木曜日

虚構新聞

NHKの報道のうちでも、最近のヒット・ニュースは、9時のニュースにおける『虚構新聞』の紹介でした。ウェブの文字ニュースとしても読めます。↓

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210114/k10012810791000.html 滋賀県のUKさんという方の発信する、力強いユーモア、リテラシー教育効果もある作り物(fact/fiction)。健全な民主主義のあらわれと受けとめました。

たった今ワシントンで進行中の、バイデン就任式にトランプ夫妻が欠席するというのは信義(の慣習)にもとるだけでなく、これだけ緊迫した政治情況においては「脅迫」をも含意する「教唆」の行為です。

New York Times (Thomas B. Edsall記事) によれば共和党に投票した有権者のうち3500万~4000万人は今でもバイデンの勝利は illegitimate だと信じているというのですから、フェイクと侮るだけでは問題は解決しない。We become ungovernable... と。恐ろしい事態についての分析記事です。

2021年1月3日日曜日

謹 賀 新 年

   新年をいかがお迎えでしょうか。

 1年前には想像もしなかった変事つづきの旧年でしたね。アタフタと対応しているうちに時は経過し、季節は移ろい、いつの間にかお正月。(雪国と違って)関東平野は寒いけれど無風の快晴がつづきます。パンデミックは収まらないどころか、ますます猛威をふるっています。この1年間の行動は自宅から約30kmくらいの範囲内にとどまり、飛行機を利用しての旅行など遠い昔のことのようです。

 そうした中でもITのおかげで遠隔の知友の顔を拝みながら対話したり、会合に参加したりできるのは、小さな幸せです。授業も学会もかえって便利になったかなという印象もありますが、しかし失われたものも少なくない。無駄なソシアビリテやちょっとした所作も大事だったんですね。

 そうしたグローバルな非日常のなかでも、古今の書物を読み、書きながら考え、ときには分かった!という気持になれるのは、職業の恵みでしょうか。幸運な人生なのかもしれません!

 加齢とともに、時折の知友のやさしさがいとおしく、身にしみますし、家族の生活と健康に思いをめぐらし、‥‥毎日散歩しています。この写真の横綱力士碑の左手にたつ横書の碑には「安政四年正月」とあります。

 みなさまも どうぞご健勝に!

 2021年正月     近藤 和彦

2020年12月26日土曜日

奇蹟が起こったのか?

24日の午前(日本時間)にある編集者に送った我がメールでは、こう書いていました。

"事態は悪い方ばかりに向かい、この年末・年始のイギリスは、  Brexit+Covid → 大破局 を迎えるのかもしれません。(救いがありうるとしたら、EU側から差し伸べられるかもしれない友情の手のみ!) ヨーロッパで団結して事にあたらねばならない時に、「国家主権の亡者」の言いなりで余分な負荷を負ってしまった連合王国。Brexitを撤回しないかぎり、確実に三流国への道をたどるように見えます。"

世を悲観して、なにごとにも消極的で、憂鬱でした。

それがイギリス・ヨーロッパの24日の午後(日本の日付が変わるころ)には、あたかもクリスマスプレゼント(Surprise!)として計ったかのように、イギリス側・EU側ともに合意できる Deal が成立し、ジョンソン首相(UK)フォンデァライエン大統領(EU)が笑顔で記者会見したのです。奇蹟としか言いようがない。【以下、情報は https://www.bbc.com/news/uk-politics の数々のウェブぺージより】 President of the European Commission ですからマスコミは「委員長」と訳していますが、日本語の「委員長」は中間管理職的で、かなり弱い。Von der Leyen の権限は文字どおりEUの首長 =「大統領」です。

カナダ型の自由貿易で合意したとジョンソン首相。フォンデァライエン大統領は It was a long and winding road. ‥‥ It is now time to turn the page and look to the future. とにこやかに公言しました。UK は信頼できるパートナだ、とも。

約定書は 1246ぺージ、付録や註が約800ぺージ! そのうち政府のサイトに公開されているのはその要旨のみ、ということでヌカ喜びはまだ早いのかもしれない。労働党のスターマ党首は、しかし、「最悪の No Deal よりはまし」という理由で、早々と議会の批准に反対しない、と意思表示しました。 逆にスコットランド首相のスタージョンは、そもそもブレクシットはスコットランドの意志に反するのだから反対。むしろ "It's time to chart our own future as an independent, European nation." とヨーロッパ国民としての(イングランドからの)独立、を唱えています。 BBCのデスクも大急ぎの速読をへて、ヨーロッパの Erasmus プロジェクトによる大学生の交換交流からの離脱は既定方針、と憂慮しています。

要するにジョンソン政権には、イギリス ⇔ ヨーロッパの貿易に free trade(無関税取引)の原則を堅持する、ということが譲れない原則で、それ以上に商品の検認、人の交流・雇用については自由でなくなる、つまりEU政府の/UK政府の時どきの干渉により、実質的な制限が加わる、ということらしい。主権と経済優先。移行期間を終えて2021年にヨーロッパ統合から抜けることには変わりない。

BBC より

はたして主権に固執してきたジョンソン首相の勝利なのか? 否。むしろフォンデァライエンの友情のおかげで最悪の事態が避けられたに過ぎないのかも。想い起こすのは、今年1月末のEU議会におけるUK離脱を惜しむ Aulde lang syne の合唱、United in diversity の横幕(→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/02/blog-post.html)、のただなかでジョージ・エリオットの詩を朗読したのは彼女でした。

   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.  We will always love you, and we will never be far."

今回の声明でも、ビートルズを引用して a long and winding road と語りだしました。彼女がイギリス(あるいは英語文化)に親しみと愛情を持ちつづけていることは明らかで、もし交渉相手のトップが彼女でなくマクロンだったら、こうは展開しなかったでしょう。

はたして最後の最後に、最悪の事態だけは避ける(山積みのイシューには、来年になってから取り組む)というのは、アメリカ合衆国におけるバイデン大統領選出と同じ構図です! 2016年からの4年間、いったい英米両国は、なにをしていたのか。無駄な言説とエネルギーの費消。

新型コロナウィルスの来襲、パンデミックの収まらない脅威によって「主権の亡者」たちも正気を取り戻した、ということであれば、これは「天からもたらされた賜物」かもしれません。そういえば、トランプも、ジョンソンも、マクロンも Covid に罹患しました。

Memento mori! 死を畏れよ! この世には「主権」より大事なことがある。あなどることなく、まじめに考えて行動せよ、と。

2020年12月22日火曜日

野村達朗さん, 1932-2020

 あとすこしで88歳になられるところ、今月に惜しくも亡くなって、すでに葬儀は済んでいるとのことです。

 1977年4月に名古屋大学に赴任して、ぼくの人生は新しい局面に入ったのですが、その名古屋におけるインフルエンサが野村達朗さんでした。ぼくが『思想』630号(1976年12月)に書いた「民衆運動・生活・意識」をほめてくださって、アメリカとイギリスと違うけれど、同じ労働者民衆の世界を社会史として見ている、それ以上に「近藤さんは民衆だ!」と過大評価してくださいました。

 名大文学部では非常勤の授業を続けてくださって、学生の良い先生でした。不定期ながら西洋史の研究会をやることもできました。それよりも映画についてのイニシエーションをしてくださって、名古屋は大須の芝居小屋で無声映画、グリフィスの『国民の創生』、そして『イントレランス』を一緒に見ました。小川プロの『日本国古屋敷村』も。

 西洋史学会大会の大シンポジウム、『過ぎ去ろうとしない近代』(山川出版社、1993)にどうしてアメリカ労働社会史の野村が入っているんだと、尋ねる人がありましたが、こうした名古屋の「密」なソシアビリテの結果であります。

 野村さんは1932年、鹿児島の生まれ。九州大学の大学院を修了してから愛知県立大学に赴任してそのまま30年間勤めあげたのでした。あの二宮宏之、遅塚忠躬と同じ「32年テーゼ」の年の生まれです。1950年代の東大西洋史は(34年生まれのTさんの言によると)、二宮・遅塚、そして33年生まれの西川正雄と「(知的)プリンスみたいな学生が揃っている研究室で、ぼくなんか気後れして‥‥」とのことでした。九州大学の、しかもエレガントでないアメリカ史をやって、野村さんも、このTさんと同じく「文化資本」の隔絶を感じてしまうはずのところ、そこはしっかり非共産党系の左翼労働民衆という立場を確立して自分の道を歩まれた。自己紹介では飲んべの「ノムラー」です、といった具合に気どらないおじさんでした。

 アメリカ史、カナダ史の交遊も広く、安武秀岳、太田和子、木村和男、金井光太朗、遠藤泰生‥‥といった方々とのお付き合いも、野村さんのおかげで始まったのでした。名古屋のアメリカンセンターで David Apter, Jack Greene をはじめ重要な学者たちと面談する機会もいただきました。亡くなってしまった木村和男とは、名大から四谷通りを下っていった店で初対面ながら、カナダや毛皮のことより、まずは吉岡昭彦、そしてグレン・グールドで盛り上がりました。

 近藤・野村(編訳)『歴史家たち』(名古屋大学出版会、1990);遅塚・近藤(編)『過ぎ去ろうとしない近代』で一緒に仕事をしましたが、明記されていなくとも、たとえば野村さんの『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社、1995)が〈歴史のフロンティア〉のシリーズに入っているのも、友情の結果です。『イギリス史10講』(2013)の名古屋における合評会にも出かけてくださいましたが、耳が不自由になって、とのことでした。2014年にいただいた(唯一の!)電子メールでは、長年ご愛用のワープロ専用機が壊れて使い物にならない‥‥と嘆いておられました。

 なかなか語り尽くせません。想い出を愛しみたいと思います。

2020年12月16日水曜日

ベルリンより

師走も中旬、いよいよ本当に寒いなぁと感じ入っていたら、予期せぬクリスマスプレゼントが到来! なんときれいなベルリンの住宅カレンダー。Charlottenburger Baugenossenschaft (シャルロッテンブルク住宅協同組合)とあり、毎月分 Shinichi 署名の景観水彩画です。
2000年の夏の終わりに Urban History の学会でベルリンに滞在したときは、工科大学に隣接し、クーダムからも遠くないホテルでした。このとき工科大学も本屋も運河もいろいろ案内していただき、楽しい想い出です。以後ちょうど20年も顔を合わせてないのではないでしょうか!

  朋あり遠方より来信、また楽しからずや。

それにしてもドイツの都市景観は、このカレンダーとは別の所でも、明るい雰囲気の似た場が少なくないような気がします。2005年にリサーチに行ったハノーファも [戦災による全滅後に建て直したようですが]これに似たよい雰囲気の住宅街の一角に泊まりました。Rathaus の前を通り、小川のほとりの Hannah-Arendt-Weg を歩き、Archiv に通ったのです。ずうっと後に行ったミュンヘンも含めてドイツの印象はいいことばかりです。

2020年12月4日金曜日

折原浩先生のホームぺージ

みなさま、コロナ禍でもお変わりないことを希望します。 こちらはあまり変わりなく静かな生活ですが、久しぶりに折原浩先生のぺージを読もうと思い、

http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara/ をクリックしたところ

「指定されたページがみつかりませんでした。  以下の項目をご確認のうえ、再度アクセスしてください。  ホームページのアドレスをもう一度ご確認ください。  アドレスが正しい場合は、ページが削除されている可能性があります。」

というメッセージが出てしまいました。

今日昼に、わが集合住宅のインターネット設備のメインテナンス工事があったためか、と時間をおいて、再起動のうえ、再度クリックしてみましたが、変わりません。Google 検索では「アドレス変更のお知らせ(11月18日)」という断片が垣間見えますが、その先は辿れません。

いささか焦りました。慌てて、よくご存知のはずの方に問い合わせてみると、SONET側の事情で gyaoのサイトが閉鎖される、ということのようですが、現在のことは不詳と。あらためて、落ち着いて検索しなおし、 https://max-weber.jp/archives/1438 (Moritzさん)から確かな情報をえました。そこから

http://hkorihara.com にたどり着いて、先生ご自身の挨拶文を拝見し、ほっとしています。

11月後半には移動の予告があったようですが、今はすでに旧アドレスから辿れない状態になっていますので、慌てる人が他にもいらっしゃるかもしれません。

2020年12月2日水曜日

『感情史の始まり』

Jan Plamper著・森田直子監訳『感情史の始まり』(みすず書房)を手にしています。いつもながらみすず書房の美しい造本。

メルケル・プーチン・大きな犬の関係性をしめす写真(p.48)、アメリカ心理学の教科書みたいな表情のならぶ写真(pp.213, 217)、‥‥「キス測定器」!? など文脈のわからないまま一しきり見渡したあと、訳者あとがき、用語解説を見てから、最初に戻り、卒読を始めました。

当初の期待はあまり大きくなかったこの本、読み進むにつれ、知的なおもしろさと ambitionの力強さに引き込まれました。博士論文がスターリン崇拝だったという Plamper(初めて聞く名です)が、序論ではアリストテレス以来の哲学を(再)吟味する必要を説き、第1章をリュシアン・フェーヴル(アナール学派)で始める意気込み、‥‥pp.400-2 の引用文のしばらく後には「歴史家はなぜ、文書館作業における自身の感情について、一種のフィールドワーク日誌をつけないのであろうか」と尋問して、読者に迫ります。

あとがきによると、本書は歴史学の史学史(来し方行く末)、19世紀以来の諸学問の歴史(これから)「としても読める」とのことですが、むしろ積極的に、それこそが著者の狙いだったのではないか、とさえ思えます。ドイツ生まれ、大学・大学院は合衆国、その後またドイツで、今はロンドン大学教授。 圧倒的な本です。ブツとしても432+144ぺージ+前付き、後付き。すなわち600ぺージの存在感、退屈しません。

→ 著者・共訳者たちの紹介はこちらに:https://www.msz.co.jp/book/detail/08953/

関連して思うのは、 a)アメリカの学界(東海岸、西海岸)の先行性と土壌の豊かさ。引用されている中世史の Rosenweinも、フランス革命の Huntも、アメリカ人で外国史をやって世界のその分野を領導するような存在になりました。ここに出てこない N. Z. Davisも! 逆にヨーロッパ人でヨーロッパ史をやっている研究者も、おもしろい研究をする人は必ずのように何年か何十年かアメリカで過ごす(Kocka, Frevert, Elliott, Koenigsberger, Brewer . . .)。日本生まれの研究者でもノーベル賞をとっている人の過半はアメリカ在外生活。ちょっとこれにはかなわない!という気になります。

とはいえ、b) pp. 314, 325あたりでも指摘されるように、アメリカ中西部・キリスト教原理主義のルサンチマン、反啓蒙性 -つまりトランプ以前のトランプ現象- は厳として存在しています。この本の初版は2012年、英訳は2015年とのことですから「東西両海岸の左派リベラルにとっての「通過飛行地帯」」(p.314)の深刻な問題性は、まだ示唆にとどまったのでしょうが、いまや恥ずかしげもなく世界に報道されています。7000万票も集める大問題です。

2020年11月15日日曜日

天皇像の歴史

 夏から以降はハラハラどきどきの連続でしたが、そうした間にも、あわてず騒がず仕事を処理してくださる方々のおかげで、『史学雑誌』129編の10号(11月刊)ができあがりました。感謝です。

 「特集 天皇像の歴史を考える」 pp.76-84 で、ぼくはコメンテータにすぎませんが、「王の二つのボディ」論、また両大戦間の学問を継承しつつ、   A. 君主制の正当性根拠    B. 日本の君主の欧語訳について の2論点に絞って議論を整理してみました。

 じつは中高生のころから、大学に入ってもなおさら、いったい「日本国」って君主国なの?共和国なの?何なの? という謎に眩惑されましたが、だれもまともに答えてくれませんでした。いったい自分たちの生きる政治社会の編成原理は何なのか、中高でならういくつかの「国制」で定義することを避けたあげく、あたかも「人民共和国」の上に「封建遺制」の天皇が推戴されているかのようなイメージ。「日本国」という語で、タブー/思考停止が隠蔽されています!

 この問題に歴史研究者として、ようやく答えることができるようになりました。E. カントーロヴィツや R. R. パーマや尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)およびその巻末解説(石川健治)を再読し反芻することによって、ようやく確信に近づいた気がします。

 拙稿の pp.77, 83n で繰りかえしますとおり、イギリス(連合王国)、カナダ連邦、オーストラリア連邦とならんで、日本国は立憲君主制の、議会制民主主義国です。君主制と民主主義は矛盾せず結合しています。ケルゼン先生にいたっては、アメリカ合衆国もまた大統領という選挙君主を推戴する monarchy で立憲君主国となります。君主(王公、皇帝、教皇、大統領)の継承・相続のちがい - a.血統(世襲・種姓)か、b.選挙(群臣のえらみ、推挙)か - は本質的な差異ではなく、相補的であり、実態は a, b 両極の間のスペクトラムのどこかに位置する。継承と承認のルール、儀礼が歴史的に造作され、伝統として受け継がれてきましたが、ときの必要と紛糾により、変容します。

 『史学雑誌』の註(pp.83-84)にあげた諸文献からも、いくつもの研究会合からも、示唆を受けてきました。途中で思案しながらも、 「主権なる概念の歴史性について」『歴史学研究』No.989 (2019) および 「ジャコバン研究史から見えてくるもの」『ジャコバンと王のいる共和政』(共著・近刊) に書いたことが、自分でも促進的な効果があったと思います。研究会合やメールで助言をくださったり、迷走に付き合ってくださった皆さん、ありがとう!

2020年11月8日日曜日

New York Times 朗報

たった今、読みました。

Joseph Robinette Biden Jr. was elected the 46th president of the United States on Saturday, promising to restore political normalcy and a spirit of national unity to confront raging health and economic crises, and making Donald J. Trump a one-term president after four years of tumult in the White House.

Mr. Biden’s victory amounted to a repudiation of Mr. Trump by millions of voters exhausted with his divisive conduct and chaotic administration, and was delivered by an unlikely alliance of women, people of color, old and young voters and a sliver of disaffected Republicans. Mr. Trump is the first incumbent to lose re-election in more than a quarter-century.

The result also provided a history-making moment for Mr. Biden’s running mate, Senator Kamala Harris of California, who will become the first woman to serve as vice president.

2020年11月4日水曜日

American democracy? 

みなさんと同じく、テレビの米大統領選挙の開票速報にクギ付け、ときにインターネットで米紙の速報を見たりしています。

それにしても、4年前に続いてまたもや世論調査はまちがって、民主党支持率を多めに、トランプ支持率を低めに見積もってしまいました。開票してみると、かつての激戦州では、今回トランプが予想以上に伸び、バイデンが勝つ場合も差は僅差です。これが悪意のデータ操作でないことを祈りますが、根本的に方法的な問題がありませんか?

世論調査を指揮している専門家が、そして実際の対質者が(自分たちはバカじゃない、エゴイストじゃないという立場から)、こんなにも非合理な共和党・トランプ支持者をバカか、エゴイストかと見て/見えてしまう‥‥といった具合に、観察者の観点が対象に反映して、調査の結果を左右していないでしょうか。 薬の治験や、社会調査における中立性の保証(ダミー薬も投与する、or「Youの意見・投票について尋ねるのでなく your friend の意見・投票について尋ねる」)といった手法は厳守されているのでしょうか?

これまでゴア候補もヒラリ・クリントン候補も微妙な負けかたをしたけれど、最終的には潔く敗北を公に認めて政治ゲームを終わらせました。 あることないこと出まかせに言って4割のコア支持者を固め、「私は敗北を認めない」と公言する現職大統領(!)は、スポーツマンシップにももとる! こんな政治手法で権力を維持しようという「ジャイアン」を歓喜して支持する4割の有権者。こんなことがまかり通るなんて、まるで16世紀内戦中のフランスや現代アフリカの部族国家みたい。

 

この4割のコア支持者に訴えあおりながら権力政治を操作してゆく手法が、これからほかの国々でも定着してゆくのだとすると、恐ろしいことです。 テレビの視聴率4割だったら、モンスター番組でしょう。でもこれは大国の政治です。4割の硬い支持を根拠に(浮動・無関心が2割)面罵し、分断をあおりつつワンマンが強権的に「指導」してゆくのだとすると、これはナチスとどこが違うんですか?

ぼくはコア支持者よりもっと広く、なんらか公共性普遍理念に訴えるスピーチを聞きたい。  すべては、投票に行かない有権者の責任でもあります。  愚かな民には愚かな政府がふさわしい。