2016年5月24日火曜日

一橋大学のキャンパスにて

22日(日)は、午前の日本西洋史学会大会会場にてゆっくりお話しできないまま、午後は急ぎ、東京駅から中央特快にて国分寺乗り換えで国立へ。
初夏の眩しい日差しの中、見知った顔を認めながら兼松講堂へ参りました。
安丸さんのお別れの会。急ぎ参じてよかったです。

 <写真は一橋大学社会学部のページより拝借>

第一部は安丸さんがどんな学者だったか(こちらはたいていの参列者は知っている)、そしてどんなに良き教師だったかもよくわかるお話がつづき、涙が止まりませんでした。大軒さんという元朝日新聞の方がバッハの無伴奏チェロ第2番の「サラバンド」を演奏してくださったのも、場に相応しい演出でした。
第二部はマーキュリホールに移動して、多摩丘陵を眺めながら、立食の会。卒業生の皆さんの賑わいで、次第にちょっとわたしたちは部外者、という空気になりかけましたが、最後のご夫人の「セビリヤの理髪師」発言が、全員を大いに幸せにしてくれました。お茶も立てていただき、ありがとうございます。
懇談中には、出版界の方々からやや暗い声を耳にしましたが、しかし『現代思想』では安丸良夫特集号を編むとのこと。ぼくも書かせていただきますが、全部を読むことを楽しみにしています。

なおまた、北原 敦さんの「フランス革命からファシズムまで: 二宮・柴田・グラムシとの対話」が『クリオ』の最新30号に出ているのを見ました。pp.1-38. 元気になります。 →『クリオ』の連絡先は東大西洋史学研究室です。

2016年5月20日金曜日

安丸良夫先生 お別れの会

21日(土)、22日(日)は日本西洋史学会大会@慶応大学です。
ぼくは木畑さん、鈴木さんの講演も含めて両日とも参りますが、22日にかぎって、午前の研究報告が終わったら(午後に興味深い小シンポジウムがあることは承知していますが)一橋大学に急行します。

日曜の午後2時から兼松講堂で、安丸良夫さんとお別れする会があるのです
→ http://www.soc.hit-u.ac.jp/info/pub/index.cgi?id=419
ぼくにとって安丸さんは1975年以来の特別の方です。
→ http://kondohistorian.blogspot.jp/2016/04/19342016.html
日本の歴史学にとっても重要な役割を果たされました。やはりこちらを優先させていただきます。いかなる意味で、どのように特別なのか、いずれ一筆、書きましょう。

2016年5月17日火曜日

日産ゴーンと 礫岩のような複合企業

 今朝の『日本経済新聞』電子版によると、
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
 合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
 6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
 J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
 上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?

2016年5月10日火曜日

立夏

 5日が立夏ということで、たしかに荒天のあと、夏のような日になりました。

 ところで「夏」と「冬」の違いは、日本では暑いか寒いか、夜中や朝に起きた場合に上に羽織るものが必要か、床に足が直についたときに「冷たっ」と思うか、心地いいと思うか、といった点に現れます。
 イギリスを含む北ヨーロッパでは、たしかに寒暖の差もないではないけれど、暑い日が少ないので、なによりも日の長さに季節の変化が現れます。夕方、図書館や文書館を出たときに真っ暗か、まだ明るいか。Summer time という語に実感がこもりますね。
植物も小鳥たちも、温度だけでなく明るい時間の長さに反応して生き、成長しているわけです。

2016年4月26日火曜日

English Historical Review

 OUPなどグローバルな専門誌を刊行している出版社と、日本の学術誌を刊行している学会との根本的な姿勢の違いの一つは、
ディジタル化ないしウェブ世界への積極性 ⇔ 鎖国(攘夷?)、
ということに現れています。
 英語市場(何十億人)と日本語市場(1億人)の差もあるのですが、それにしても攘夷鎖国派の反応は、たとえば
「オンラインにしてしまったら『史学雑誌』が売れなくなってしまいます」
というもので、その牢固たる姿勢には、史学会評議員であるわたくしメとしても、何ともしようがありません。「オンライン・データベースに載せるのは、雑誌の刊行後せいぜい2年経ってから」といった具合です。
その間に欧米ではすでに一昔まえから、ジャーナルが紙として刊行される半年くらい前にオンライン公開されること(Advance Access/Early Online) が普通になっています。たとえば『史学雑誌』115-5(2006)歴史理論、『同』116-5(2007)総説で論及。

 たとえば先週に、こんな好論文が Oxford Journals の刊行前(Advance Access)ページに載りました。EHRの契約を済ませている大学図書館からはアクセスできますし、会員でなくても、著者から案内があれば、URLを(尻切れトンボにせず)丁寧にクリックするとゲストとしてアクセスし、ダウンロードもできるようです。
Full Text: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/content/full/cew077
PDF: http://ehr.oxfordjournals.org/cgi/reprint/cew077
'To Vote or not to Vote: Charity Voting and the Other Side of Subscriber Democracy in Victorian England' by Shusaku Kanazawa
The English Historical Review 2016; doi: 10.1093/ehr/cew077
【ウェブで Extract まではどこの誰にも読めますが、全文を読むための正確なURLについては、ご免なさい、著者・金澤さんに尋ねてください。】

2016年4月16日土曜日

熊本の震災

こちらが悠長なことをしたためている間に、熊本地方で14日夜から地震が連続し、今日もたいへんな惨状を呈していることを知り、何とも言葉がありません。
熊本大学には2010年11月に鶴島さん、高田さん、秋田さんの尽力で日韓英国史コンファレンス(KJC)が実現した折に参りました。宿に遅塚忠躬さんが亡くなったとの一報が届き、慌てたことを想い出します。
熊本は路面電車が便利な都市だと印象づけられましたが、今回の地震ではどうなのでしょう。お城の石垣が崩れているのをTVで見ました。市内の高層ホテルの客が小学校に避難したとの報道もあります。
どうか鶴島さんはじめ皆さまに大禍が及ばなかったことを祈ります。

2016年4月9日土曜日

年々歳々花相似たり

 ちょうど年度替わり、学事に前後する花便りで、落ち着きませんでしたね。
 今年は開花宣言の後、寒い日が続いたので、ようやく今週が盛りでした。雨に見舞われても風さえなければ、なんとか持ちます。
老母宅のすぐ近所、ぼくの小学3年以来の原風景のような公園の桜並木も、街とともにすでに成熟を過ぎて老いてきました。花曇りの月曜の午後で、あまり人出もないけれど、それなりの哀感のともなう染井吉野です(すでに樹齢60を過ぎています)。

 今夕(土)は本郷・赤門脇の八重桜を拝みました。何年か前まですこし色調のちがう花をつける2本が重なるように満開になると素晴らしい迫力があったけれど、数年前にピンク系の1本がダメになって、今はすこし淋しい色の1本だけです。

2016年4月5日火曜日

安丸良夫さん(1934-2016)

 新聞を見て驚きました。安丸さんが亡くなったとのこと。
 一昨年の喜安朗さんをかこむ『転成する歴史家たちの軌跡』(せりか書房)をめぐる研究会@東洋大でも、呼吸器の手術にもかかわらず積極的に発言なさり、後に続く者を激励する風がありました。今回は交通事故に遭われ、治療の甲斐なく、とのことです。喪失感はこの上ありません。

 安丸さんとのお付き合いは長く、東大の助手のとき(1975)、西洋史の学生たちと読書会を続けていましたが、出たばかりの『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、1974)を読んで感銘して、もしや著者に来てもらってお話を聞けるだろうか、となりました。面識も何もないのに、ぼくが一橋大学御中 安丸良夫先生あてで伺いの手紙を書いてみたら、簡単に快諾のご返事が来て、うれしかった。
本郷の西洋史の奥の(今では談話室と呼んでいる)部屋でインタヴュー的な討論の会が実現しました(お礼は無しでした!)。その折の学部生は小林・皆川・石橋・西浜といった連中で、その後みんな高校教師になりました。その読書会は続いて、なんと Richard Cobb, The Police and the People に読み進んだのです!
 77年には岩波書店で開かれた「社会史の会」でご一緒しました。そこでぼくが調子こいて、すべて独創的な歴史家の血液型はBであるか、Bの因子が入っている。それが証拠に柴田三千雄、阿部謹也、二宮宏之、石井進、安丸良夫、‥‥がB型で(近藤も末席を汚していて)、ほかに ダレソレ がAB型だ、などと述べて、A型の遅塚忠躬さんから戯れが過ぎると叱られました【その後、遅塚さんは Annales 誌の血液型論文のコピーを送ってくださり、しっかり研究史をふまえて議論するよう、ご注意をいただきました!】。
その前後に早稲田の文学部で開かれた歴研の部会(?)は日本史主体でしたが、なぜかぼくも呼ばれて「安丸の西洋史版」みたいな扱いを受けているのが嬉しかった(まだ20代の最後で、名古屋まで通勤しました)。
 『民のモラル』(1993)が出た直後に外語大で催された合評会みたいな尋問の会みたいな所にも、安丸さんは山之内さんや二宮さんとご一緒に出席なさっていました。だものですから、『イギリス史10講』(2013)をお贈りした後、日をおかずにいただいたお手紙を読んで、嬉しいと同時にすこし考えこみました。

 「‥‥高度に洗練された知的な叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びついて、すっかり感心してしまいました。短い表現にも多くの省察がふまえられていて、御苦心のあとを偲ぶことができたように思います。
‥‥近藤さん御自身としては『民のモラル』あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけなのでしょう。9.11、3.11などのあとで、歴史研究の新しい方向を模索しようとするとき、玉著の意義を反芻することができるかと思いました。‥‥」

 こういった感想はぼくの学生時代を知らない方々には少なくないのかもしれません。駒場における学問の最初はマルクスとヴェーバー(世良晃志郎訳)でしたから、本郷に進学して、堀米先生や成瀬先生の国制史・国家構造史はすんなりと頭に入りました。民衆史はむしろその後、柴田先生の影響で、ジャコバン権力と相対するサンキュロットという位置づけで加わった新展開です。70年代には世界的な研究史展開と同期して、そちら(民衆の生活・文化・運動)のほうが exciting で面白くなりました。安丸さんのお仕事のうち、百姓の世界、出口なおの宇宙についても具体的にぼくの視界を広げていただき、感謝していますが、むしろその後の『近代天皇像の形成』や〈日本近代思想大系〉などのほうが「これからの方向」を示しているような気がしてインパクトがありました。

 まだまだこれからこちらの書き物をご覧に入れて、お話もできると期していましたのに、残念ですし、無念です。
 ご冥福を祈ります。

2016年3月30日水曜日

Orbis

 驚きました。美白化粧品の広告ですが、従来の Orbis(地球、世界、範囲)に満足せず、
「大人の美白は、もっと欲張りでいい」と。


 礫岩のようなヨーロッパの秩序を統治すべき普遍君主のレトリック, Orbis non sufficit,「地球は満たされず」「世界は不足なり」「もっとほしい」を知ってのキャッチ・コピーでしょうか? 当方は不明にして ORBIS というブランドがあることも知らなかった!
インスピレーションは近世君主のフェリーペ2世か、ジェイムズ1世か、ジョージ1世か、それとも現代の 007 の The world is not enough?
駅のエスカレータを上りつつ、この知的な?広告に惹きつけられ、階段をまた下りて撮影しました。

 編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行は、いよいよあと2カ月ほどです。

2016年3月28日月曜日

大学の先生

 老いたる母の質問によれば、「大学の授業も入試も終わって、春休みなら十分に時間があるじゃろうに」。いえ、じつは大学の先生は今ごろ一番忙しくしているのです。
 年度末の会議や決算や送別会は当然としても、じつは大学の中だけで仕事しているわけではないので、学外の仕事にかかわる会議や決算や催しもあります。さらに何ヶ月も前から他大学の先生方との研究会や(海外から招いた)特別な研究者を囲むセミナーが設定されていて、しかもその間を縫って、期限オーバーの原稿を執筆したり、校正刷りを真っ赤にしたり、ひとの原稿を読んで意見を言ったりします。直近の仕事ばかりでなく中長期の計画や着想を練るといったことに頭脳が向かっていると、‥‥お墓参りも親孝行も滞りがちです。
 済みません、母上!

 かく言うぼくたちも、学生のころ、自分の先生が(授業以外の場面で)どんな毎日・毎週を営んでいたのか、さっぱり知らなかった。別世界でした。
 もしや今日の議員たち、役人たちにとっても、大学の先生の知的生活は、未知との遭遇なのかな。 議員も役人も、大卒とはいえ、在学中はせいぜいゼミやコンパで先生と言葉を交わしただけだったりして。
 大学の先生って、高校の先生より休みが多くて、わがまま;要するに贅沢な怠け者;だから Faculty Development などで絞りあげる必要がある、とでも議員も役人も思いこんでいるんでしょうか。絞れば、たしかに、優秀な先生方はすみやかに授業も論文も報告書もこなしますが、しかし長期的には疲弊して、役人(あるいは独立行政法人)むけの報告書しか書けなくなりますよ。「すみやかに報告する」だけでなく、「調べて、考えて、書く」ことこそ学問の大前提です。
 日本の学問を枯渇させるには、大学の先生を忙しくさせる(考える時間を無くさせる)のが一番! 文系も理系もおなじです。

2016年3月18日金曜日

映画とイギリス史 1


『日本歯科医師会雑誌』という歯医者さん専門の月刊雑誌があって、その巻頭のコラムに連載を始めました。
第1回、3月号(pp.4-5)は「マーガレット・サッチャー:鉄の女の涙」、これは日本での映画公開名。メリル・ストリープ主演の原題は The Iron Lady, 2011年でした。
http://www.imdb.com/title/tt1007029/
 だれもが知るかつての公人の晩年に仮託した、認知障害・アルツハイマーの患者をテーマとする映画ですが、これは、歴史と証言(そして映像資料)といった問題がシャープに表現された作品としても優れたものだと考えています。

 今日の歴史学もまた現代的な学問ですが、連載では、歴史学ではどのようなことが問題にされ、歴史学者はどのような議論をしているのか。とくにイギリス史に取材した映画をとりあげて、知る人ぞ知る歴史的な人物や事件がどう扱われているか、すこし理屈っぽい話をしたいと予定しています。
 拙著『イギリス史10講』では、ブリテン諸島に生きた人びとのアイデンティティと秩序のありかたを中心に述べてみました。その際にいくつもの文芸作品や映画に言及しましたが、それは(一部に誤解があるようですが)一般読者へのサービスでも遊びでもなく、むしろ今日の歴史研究における史料と表象といった方法論にかかわると考えたからです。それがどういうことか、これから連載で述べてゆきます。

2016年3月16日水曜日

Interview with Sir Keith Thomas

このたび日本学士院の招待でサー・キース・トマス(元 British Academy会長)が来日し、
19日(土)に日本学士院で公開講演をなさるという予定については、すでに記しました。
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2016/012001.html

 これとは別に小規模で、もうすこし率直な対話のできる会合を計画しました。
 21日(祝)2:30開場、3:00~5:30、そのあと交歓のためのドリンク
 東京大学文学部・教授会談話室(法文2号館のアーケードから入って大きな階段を中2階へ)にて、
 近藤の司会によるインタヴュー集会とします【残念ながら通訳はありません】。

 ご自分(1933年生まれ)の知的生涯と、歴史学・文化諸学・マルクス主義・修正主義・現今の人文学へのかかわりについて、お話していただきます。
今も元気な学者で、歴史学界、そしてOUPをはじめとする出版界に大きな影響を及ぼしてきた人です。
Past & Present 誌の編集委員会に長くおられ、またPeter Burke を育てた先生でもあります!

2016年3月8日火曜日

Sir Keith Thomas

サー・キース・トマス(元British Academy会長) が
3月17日に東京到着、23日に京都へ移動、その間に
19日(土)に日本学士院@上野で公開講演という予定でいらっしゃいます。
学士院では What did it mean in early modern England to be 'civilized'?
という講演です。
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2016/012001.html
無料ですが、事前予約が必要です。

2016年2月14日日曜日

『新しく学ぶ 西洋の歴史』

新しく学ぶ 西洋の歴史 - アジアから考える』(ミネルヴァ書房)が到来。
 執筆者を見て驚きました。計100名を越えています。
「モンゴル時代」より後、日本・アジアから展望した同時代の世界史ということで、村井章介さんも、松井洋子さんも、三谷博さんもいます!
そして皆々さんの執筆分担は各章の「序論」であれ、「総論」であれ、節であれ、ただの2ページ(表裏1枚)。なんだい、と思いながらそれぞれの部分を読んでみると、しかし、各トピックが簡単明瞭に浮き彫りにされて、案外に悪くない。

 問題は、それぞれの部分をどなたが執筆したのか、ただちには分からないことです。執筆分担者を知りたいんなら、巻末の細かい字の執筆者紹介から該当の章節を捜しあてればよい、という方式らしいが、これはいささか難行です。
 むしろ目次や各部分タイトルの下部に執筆者名を挿入するという方式なら、テクニカルに簡単なはずです。しばしば教科書的出版物には章節執筆者名をないがしろにする傾向がありますが、これはそもそも執筆者を軽視しているし、学生にたいする教育上も良くない。
 E・H・カーも『歴史とは何か』で言っているでしょう。「歴史を研究する前に、歴史家を研究すべきなのです。」「事実とは‥‥広大な大洋を泳ぎ回っている魚のようなもので、歴史家がなにを捕らえるかは‥‥海のどの辺で漁をするのか、どんな漁具を使うのか、どんな魚を捕まえようとしているのかによるのです。」(岩波新書 pp.27-29)

 というわけで、「責任編集者」は版元にたいして一踏ん張り、「責任」を果たすべきでしたね。(南塚さん、どうお考えですか?)

2016年2月1日月曜日

『みすず』645号

 「読書アンケート特集」が、到着。
 いまや年中行事です。暮から正月の忙しい折に書くのも大変なのだが、しかし2月に入るとただちに皆さんの文章を読めるのが楽しく、有益。「面白くて、為になる」という昔の講談社みたいな企画です。まだの人は、ぜひ!
 ぼくのがビリに近いところ(pp.96-97)にあるのは、おそらく原稿の到着順、追い込みでページを制作しているからでしょう。そのぼくより後に、阪上孝さん、キャロル・グラックさん、斉藤修さん、野谷文昭さん、沼野充義さん、鎌田慧さん、といった面々が続いているということは、つまりぼくよりさらに遅かったの? 豪傑揃いです。
 いや、とにかく丸山眞男の父、幹治の「人柄」(p.11)とか、「京城学派」(p.13)、「偉大なる韓民族」の「精気」(p.49)とか、初めて知りました。そしてキャロル・グラック(pp.100-102)、いつもながら冴えている!
 今年のぼくは、
 ・パスカル『パンセ』
 ・ヴェーバー『宗教社会学論選』
 ・村上淳一『<法>の歴史』
 ・Kagan & Parker (ed.), Spain, Europe and the Atlantic World; Andrade & Reger (ed.), The Limits of Empire
 ・岡本隆司(編)『宗主権の世界史』
を挙げてコメントしました。
【なお昨年度の拙文は、右上の FEATURES: 『みすず』No.634 にアプロードしました。ご笑覧ください。】
 新刊でなくとも、2015年に読んで感銘を受けた本であれば古典でも、日本語に限定することなく、という編集部の方針が、執筆者には自由をあたえ、読者には多様な本の世界を広げて見せてくれて、うれしい。それから、原稿の到着順だからと想像されますが、最初の30名(?)ほどは、律儀でまた時間に余裕のあるらしい方々が多い。まだまだ元気ですよ、すくなくとも短文を書き、想い出をしたためる力は残っていますよ、という近況報告集のような役割も、この企画は担っているのかな。

2016年1月23日土曜日

樺山弘盛さん(アメリカ文学)

 訃報が立正大学の事務長から参りました。
 樺山さんは闘病が長く、心配しておりましたが、今日22日に亡くなったとのことです。ご家族も悲しみにくれておられることでしょう。

 4年前に立正大学文学部に赴任したところ、とても似た雰囲気のアメリカ文学の先生がいらっしゃるので、もしや、と伺ったら、そのとおり「有名な樺山先生」の遠いご親戚とのこと。鹿児島生まれで、体形もお顔も、にこやかな表情も、そっくり。学内の委員などでたいへん忙しくしておられて、気の毒なほどでした。
あまり学問的なお話をする機会もないまま、昨年度の夏に倒れられて、それ以来、病院生活が続きました。残念です。
 つつしんでお悼みを申しあげます。

2016年1月19日火曜日

二宮宏之 『マルク・ブロックを読む』

 岩波書店より、二宮宏之『マルク・ブロックを読む』(岩波現代文庫、2016)が到来。

岩波セミナーブックス〉の刊行が2005年3月末でした。亡くなったのは翌06年3月。それから早10年です。歳月人を待たず。
 今回の林田さんの解説を読みつつ、佐藤彰一さんの書評文(『史学雑誌』2006年6号)におけるブロック評価、とりわけフランス・エリートの評価の違いを思い起こしたことでした。それぞれがフランスで個人的に接されたエリートの気質の違いなどもどこかに反映しているかもしれないが、「歴史記述が物語り行為だということは、自らの構築した歴史を矜持と責任をもって語ることである」。
 二宮さんの、これはかなり真剣なメッセージです。

 ぼく自身が著者にあてて書いた2005年の私信の控えが出てきました。その前半だけでもご覧に入れましょう。

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 二宮宏之さん
 やや天候不順ですが、お元気のことでしょう。

 『マルク・ブロックを読む』を頂いてからずいぶんたってしまいました。この本は4月にイギリスから帰国したら机上に待っていてくれたもので、それ以来、部分的に順不同に読むということを繰りかえし、何人かの友人とは感想を語りあっていましたが、新学年の校務やいくつかの決定などにかかわっていて落ち着かず、今日ようやく机に向かって、最初から最後まで少々の参考図書も参照しつつ読了しました。感動しました。僭越ながら二宮さんのこれまでに刊行された3冊の日本語単著のうち、一番緊密に構成されているばかりでなく、もっとも人の心をうつ作品ではないでしょうか。

 岩波セミナーという性格もあるのでしょうが、二宮さんの読みと語りの方法は繰りかえし明示され、曖昧なところがありません。マルク・ブロックの作品の意味と仕組みを読み解くことと、時代のなかに人そのものを読むこととが不可分に進行し、しかも第一講は「ぼく」ないし高橋幸八郎を初めとする日本側の文脈で始まり、第五講は彼の遺書の意味するところを(その字をも)読むことで結ばれます。もしかすると、二宮さんにとってこの遺書のメッセージを読みとることこそが本書の究極の課題だったのかもしれない、とうかがわせる構成です。ブロックを聖人君子や英雄として奉るのでなく、しかし20世紀前半の最良の歴史家の誠実な生と知的な遺産をその時代のなかでとらえ、提示したのは二宮さんですから、フランス・共和主義・普遍(の問題性)をわれわれに遺贈された問題としてしっかり受けとめることによってこの書を閉じる。これすなわち、読者にそれぞれの「『マルク・ブロックを読む』を読む」という課題を委譲していることは明白です。

 久々に静かで純粋な高揚をおぼえる読書をしました。ありがとうございます。

 なおまた、グーベールの形容するブロックの語りかた、眼差し、そして207-206ページ*の写真の字体、‥‥なにか「これは知ってるぞ」という気にさせられましたよ。ぼくが本郷に進学して受けた堀米庸三さんの演習が(英訳)Feudal Society をテキストとしていたこと、大学院で高橋幸八郎さんが『市民革命の構造』と『資本論』をわれわれたった3人の院生に読ませたこと、だけがその理由ではありません。 

 <以下18行は技術的な質疑ですし、文庫版で解決している場合もあるので、中略

  2005年6月1日 近藤 和彦
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 * これは岩波セミナーブックスのページ。岩波現代文庫では pp.231-230.

2016年1月4日月曜日

謹 賀 申 年

 
 年の始まりをいかがお迎えでしょうか。

 今年度の卒論演習では多めの21名を見守っています(1月9日が提出〆切、29日が口頭試問です)。授業以外で各方面にご心配をかけていますが、昨年は
  2月に編著『イギリス史研究入門』の第3刷(細部がたくさん更新されています!)、
  5月に編著『ヨーロッパ史講義』、
  8月に編著 History in British History: Proceedings of the 7th AJC, 2012
を刊行することができました。それぞれ強力な支援チームのお陰です。他にも同時にいくつも楽しい仕事に取り組んで、礫岩のような日々!
 11月には 頸椎症性神経根症 で苦しみ悶えましたが、よき鍼灸師に巡りあい、通い続けて、なんとか過ごしております。
 暮れには句をひねる人の気持が分かったような気になりました!

  極り月 老いたる母の爪を切る

 皆さま、ご健勝にお過ごしください。

 2016年正月    近藤 和彦

2015年12月29日火曜日

村上春樹の旋回!?

 遡って、20日(日)午後には東京ステーションホテルで4時間ほどの密度ある会議をもち、編著『礫岩のようなヨーロッパ』の出版の具体的な見通しをえました。
 気持が高揚し、そのまま帰宅する気になれず、夕刻、OAZO の丸善に入ったら、1階で唯一赤い表紙の岩波新書、『村上春樹はむずかしい』が目に飛びこんできました。著者は加藤典洋、ぼくの同期で仏文でした。どんなことを書いているんだと立ち読みを始めて、止まらなくなった。結局、二息ついてから、別の1冊とともに計2冊をもってレジの列に並ぶことになりました。

 村上春樹は、近代日本の、そして今日のアジアのインテリ、物書きから低く評価されている。芥川賞もとっていない。しかし、現代の日本および海外の若者、大衆的な読者、そして編集者や中文の藤井先生にアピールする何かを表現してきました。その理由は?
 村上春樹は明快に、近代日本のインテリの宿痾のような「否定性」(68年にぼくたちは「否定的直観」と呼んでいた)のダイナモを motivation とすることなく、肯定的なことを肯定する作品を自分のペースで生産し続けている(「気分が良くてなにが悪い」)。芥川賞の選考委員はこの「否定性のなさ」を「浅い」とか「空気さなぎ」とか片づけてきました。なにを隠そう、インテリの一人であるぼくも、遠い距離を感じてきました。
 だが、第1の事実として、村上春樹は(ぼくの2歳下で)1968年に早稲田の文学部に入学して、74年に卒業する。ヴェトナム戦争期に重なります。その間の早稲田の文学部がどういった所だったか、『村上春樹はむずかしい』p.65 には端的に「内ゲバによる死者数の推移」が挙がっています。ぼくも歴史として、記憶として』(御茶の水書房)p.182に書き付けたような経験を、村上はもっと生々しく、繰りかえし見聞きしていたようです。
  I keep straining my ears to hear a sound.
  Maybe someone is digging underground;
  or have they given up and all gone home to bed,
  thinking those who once existed must be dead? (pp.70-71、句読点を補充)
 そして第2に、父親の中国経験。
「暴力と死とセックス‥‥を避けてでなく、その内側に入り‥‥反戦と非戦の意志へと抜け出ていくことができるか。‥‥私たち日本人の戦後の冥界くぐり」として村上文学を最大限に称揚したのが、加藤の本書と言えるようです。一種の「ラブレター」とでも言えそう。

 これではなんだか、団塊の世代の村上文学を団塊の世代の評論家=加藤が論評したものを、団塊の世代の読者=近藤がどう読みとったか、といった具合ですが、しかし、じつは団塊の世代といっても、1968年に大学3・4年だった(本郷にいた)者と、1・2年だった者とではかなり経験の受けとめ方が違うのではないか、と思ってきました。大学にいなかった人なら、なおさらに違うでしょう。
 その点で、ぼくは村上春樹と彼の周囲の人たちの世界を垣間見て知っているし、彼と似た空気を呼吸したことはあります。しかし、70年代に異なる思考回路を選択し、以後、別の小宇宙で生活してきました。そうした村上がいま、「歴史に行くしかないんじゃないか」と言明し、「近代日本批判の従来型の否定性を‥‥脱構築しながら、なおかつ別種の新しい否定性を作り上げること、コミットすること」(加藤、pp.131,139)に力点を置いているのだとしたら、これはすごい事態の展開/転回なのかもしれない。
 村上の言では、こうなります。「‥‥井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだ‥‥。」(p.140から重引)

2015年12月27日日曜日

卒業論文 指導

 この季節、12月の半ばを過ぎると東大ではさすがに学内校務はなくなって、論文審査と(もしあるなら)学外の公務を片づけ、期日を超過した原稿の執筆に入るといったパターンでした。「卒業論文指導」みたいなことは、在任中にやったことなかったような気がする‥‥。そもそも教師にとって学部生の指導は一番の業務ではなく、卒業論文のためにはTAがサブゼミを開いているのだから、こちらが余計な口出し手出しをする必要はなかった。また学生の立場からすると、むしろ積年の自分の読書と先輩の助言によって獲得したリサーチ力と執筆力を示す(自分は「アホやない」ことを証す)、というのが卒業論文であったし、今でもそうあり続けるのではないでしょうか。
 ところが、どうも私立大学の文学部では事情がちがうようで、教師がなにからなにまで教えこんで、手とり足とり指導するのが普通のようです。毎年度、たとえば
  段落は大事だよ、何故かわかるかな? 最初は1字下げるんだ。小学校の国語で習ったね。句読点もよく考えてつけよう。もし行末に来たら欄外にはみ出す約束、「ぶら下げ」ってんだ。よく見てご覧、ひとの論文は、章ごとに新しいページの頭から始まっているね。‥‥
  読んだ文献を使いながら議論に筋道をたてる。根拠を示すために、それぞれの箇所に註が必要だね。 1), 2), 3) って番号を上付に振ってゆくんだよ。好みで括弧なしでも (1), (2), (3) でもいい。脚註でも章末註でもいいよ。‥‥
  最後に参考文献表が必要不可欠。重要文献で、じつは読めなかったというものも挙げていい。ただし * とか # とか印をつけて区別するんだよ。
といったことを「卒論演習」の教室で言うだけでなく、個人面談でも(この子にこれで何度目だと思いながら)一人一人くりかえし「教える」というのは、じつに新鮮な経験です。そもそも『卒業論文作成の手引き』という5月に配布したパンフレット(計21ページ)に99%は書いてあることなのに! 大事なことは何度でも言う、根気が肝要、Teaching is learning という格言を再帰法的に実践しています。
 昨年の4年生ゼミは13名で個人面談を12月26日(金)までやっていましたが、今年は21名、最後は28日(月)です! もしや1月4日にも追加面談‥‥。
 この暮は、連夜の学外公務をようやく終了して、25日に4年生全員に宛てて送信した一斉メールで、次のように述べました。長文の一部で、ちょっと推敲してあります。

Quote: ------------------------------------------------------------

II. よい卒業論文のポイントを確認します。

§ なにより次の3点が大事です。
 a. Question (問い、何を知りたいのか)を明記し、個人的動機も述べる。標準的な研究文献にもコメントがほしい。
 b. 文献を読み調べてわかったこと、目を開かれたことを論じ、典拠を註に明示する。論文なのだから、高校の教科書に書いてあるようなことはクドクド述べない。議論の筋道を意識する。複数の研究者や専門論文、その間の違い・ズレを註に記すだけでなく、その差異の意味を本文で論じていれば、つまり、分析的な文章になっていれば、すばらしい。
 c. Question にたいする答え(Answer)を述べる。

どこでどう述べるかは、人により違っていてよいし、力の見せどころだが、理想的には、
 a. → はじめに(序)でクリアに述べる。長くなくてよい。
 b. → 本論(1章、2章、3章)でダイナミックに展開する。これはどうしても長くなる。
 c. → おわりに(結)で述べる。短くてよい。

§ 原稿はプリントアウトして読み直し、筋の通った明快な日本語になっているかどうか確認し、みずから添削し改善する。
 最初から最後まで、根拠・典拠をしめす註をつける(註は多いほどよい;ウェブページなら URL を示す)。註のない文章は、卒業論文とは認められません。
 註と参考文献とは、別物です。それぞれ必要。
 巻末に参考文献リストをかかげますが、みずから読んでない文献には * ▼ † などの印を付して区別します。
 図版や表は、分かりやすい位置にあれば、本文中でも巻頭・巻末でも問題ありません。写真やコピーも可。学校内の教育・学術目的の使用ですから、著作権・複製権などは問題になりませんが、どこから取ってきたか(出典)は明示。
 念のため、出典をあきらかにした引用と、出典を隠した盗用=剽窃(ひょうせつ)とは全然ちがうものです。前者は学問、研究の本質。後者は窃盗であり、犯罪です。

 ------------------------------------------------------------ Unquote.(加筆、推敲)